希望の国


村上龍は、2000年の小説、『希望の国エクソダス』で、中学生の主人公「ポ

ンちゃん」に、こう語らせた。

『「この国にはなんでもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望

だけがない」』

村上龍 「希望の国エクソダス」2000年 文芸春秋 P309)

日本人は、流行に左右されやすい民族である。

若い女の子を、見てみなさい。

みんな、髪の毛が茶色くて、携帯電話を使いながら、ルイヴィトンのバックを

持っている。(「おじさん」は流行に疎いので、今は又違うのかもしれない

が...)なんの「個性」も感じられない。

普通の人たちは、「空気」に流されて行動する。「空気」に逆らうと。イジメ

られる。

「KY」は「空気読めない」の略らしいが、その「空気」が正しいとは、かぎら

ない。(山本七平著 「空気の研究」文春文庫 参照)

小泉政権が発足したとき、その支持率は、90%近かった。

私は正直恐ろしかった。「空気の政権」と揶揄する人もいた。

尊敬するビートたけしは、「オイルショックのときの、トイレットペーパーみ

たいなものだ。」と喝破したが、蓋し名言たと思った。

私は、経済のことも、政治のことも、法律のことも、わからない。

だから、そういう難しいことは偉い人に任せておけばいいのかもしれない。

けれども、その日本の「偉い人」は、自分の言動に責任をとろうとしない。

満州国が滅びるときには、日本一優秀な人たちの集まりであったはずの軍人た

ち(陸軍大学は東京帝国大学より難関だった!)は、自分達だけ家族を連れて

逃げ、たくさんの中国残留孤児がうまれた。

『「...前の戦争のときに、国民は真実を知らされてなかったってよく学校

で聞いたけれど、軍部が国民をだまそうとしただけじゃないと思うな。真実を

知る度量がないというか、真実を知ったところで何もできずにうろたえるだけ

だから、知らせたくても知らせることができなかったんじゃないのかしらね。

...」』

村上龍 前掲書 P124)

私は、どうすれば、いいのだろう?