「酔いどれ天使」
「酔いどれ天使」
1948年 東宝
黒澤明は、やくざが嫌いだったそうです。
私も大嫌いです。
(やくざの方、読んでいたら怒らないでね♡)
それで、この映画を作ったらしいですが、
皮肉なことに、三船敏郎演じるやくざが、
あまりにかっこ良すぎて、
この映画で、スターになってしまいました。
(深作欣二監督は、この映画を観て、映画監督になる決意をしたそうです。)
戦後、あまた作られたやくざ映画のルーツだそうです。
題名からわかるように、
本来は志村喬演じるアル中の医者が、主人公のはずですが、
三船が完全に主役を食ってしまいました。
あらすじを語るのは苦手なので、
ウィキペディアから、まる写しします。
反骨漢だが一途な貧乏医師・真田(志村喬)は、闇市のやくざ・松永(三船敏郎)の鉄砲傷を手当てしたことがきっかけで、松永が肺病に冒されているのを知り、その治療を必死に試みる。しかし若く血気盛んな松永は素直になれず威勢を張るばかり。更に、出獄して来た兄貴分のやくざ(山本礼三郎)との、縄張りや情婦を巡る確執の中で急激に命を縮めていく。弱り果て追い詰められていく松永。吐血し真田の診療所に運び込まれ、一旦は養生を試みるが、結局は窮余の殴り込みを仕掛けた末、返り討ちで死ぬ。真田はそんな松永の死を、毒舌の裏で哀れみ悼む。闇市は松永などもとからいなかったように、賑わい活気づいている。真田は肺病が治癒したとほほ笑む女学生(久我美子)に出会い、一縷の光を見出した気分で去る。
映画は、「野良犬」と同様、
敗戦に打ちのめされた焼跡の東京を舞台としていますが、
この時代には、第二次世界大戦の大失敗の影響で、
盛んに日本的なものが否定された時代でした。
この映画も、その流れに沿っています。
映画のセットの真ん中にある、
メタンガスのぶくぶく噴き出す沼と、
やくざ・松永の侵された結核は、
戦後日本の混乱の象徴でしょう。
けれども、面白いのは、
三船が演じる「悪」と対決する「善」の象徴たる医者が、
アル中であることです。
(私も、かつては、お酒に溺れた時期があったので、
酒飲み特有のしぐさに、思わず笑ってしまいます。)
これは、実在のモデルのお医者さんがいたそうで、
こういうところにも、
良質の黒沢作品における多義性が見てとれると思います。
結核に冒されていると知りつつ、
やくざの世界から抜け出せない松永の悲劇的な最期と対照的に、
医者の言いつけを守り、治癒していく女学生に、
新しい日本への希望が見てとれます。
それにしても、
松永が落ち目になったとたんに、
周りの人の態度が変わるのも、
私は以前似たような経験をしたことがあり、
こういうところの人間観察の鋭さには、
やはり、敬服してしまいます。
落ちぶれた主人公が不治の病に苦しみながら闇市をさすらう場面では
「カッコウワルツ」の底抜けに明るいメロデイが流れ、
対位法が、いい効果を出しています。