太宰治「斜陽」読書感想文

太宰治「斜陽」読書感想文


 
私が、S.スピルバーグの話術に乗せられるのが嫌で、
「絶対泣くまい。」と心に決めていたにもかかわらず、
「シンドラーのリスト」を見て思わず胸が熱くなったシーンは、
強制収容所にいれられた女性たちが、
健康でないと判断されると
労働力にならないということで、
ガス室に入れられて殺されてしまうのがわかっているので、
血色をよく見せようと必死に顔に自分の血を塗りたくるところでした。
何としてでも、生き延びようとする(でも、大方は殺されてしまう)その姿は、
涙なくして、見れませんでした。

このブログで太宰治の悪口を何回も書いてばかりいて、
でも、結局好きじゃないのか?と皆様からコメントを何度もいただきましたが、
私がこの人の生き方、ないしは小説に嫌悪を感じるのは、
前述のユダヤ人と正反対の
心理学でいうところの「疾病利得」の卑怯さを随所に感じるからです。
つまり、弱者乃至は病人を思いやらねばならぬ社会的通念を、
上手く悪用して同情を買うことを計算に入れてぬけぬけと生きている。
この小説「斜陽」に登場する没落貴族の息子直治のだらしなさは、
以前記事にしましたが、もうこれ以上何も言うことはありません。
作中、自殺してくれて、ホッとしました。
(でも、親の金をくすねて、クスリと女に現を抜かすぐらいで、
カタンだなんて、なんか可愛い気がしますね。)
 
それに対して、
逞しい粗野な小説家の私生児を生んで、
戦後の世界を生き抜こうと決意する姉のかず子には好感が持てました。
新しい時代の象徴のような行動力と活力を感じました。
この小説を書いた数年後には、
例によって女を道連れに自殺してしまった太宰ですが、
かず子のように、逞しくは生き延びられなかったのでしょうか?
そうすれば、もっと逞しいいい小説が書けたのでは?

悪口ばかり書きましたが、
当時の世相を考慮に入れると、
この小説がベストセラーになったのは、
十分理解できます。
明らかにチェーホフ桜の園を意識していますが、
敗戦に伴って没落していく階級の悲しさはよく描けていたと思います。
でも、これって、太田静子の日記の丸写しらしいですね。

これで、太宰治は卒業いたしました。
さようなら。