説教くさい「赤ひげ」

説教くさい「赤ひげ」

(1965年)

 
監督
 黒澤明
製作
 田中友幸
 菊島隆三
脚本
 井手雅人
 小国英雄
 菊島隆三
 黒澤明
 出演者
 三船敏郎
 加山雄三
 山崎努
 音楽
 佐藤勝
 
あらすじ
主人公の青年、保本登(加山雄三)が小石川養生所へ続く坂を上り角寸の巨大な門をくぐっていく場面から映画が始まる。養生所の責任者である新出去定(にいできょじょう:三船敏郎)に会うように言われてきた保本だが、知らない間に養生所の医師として働くように段取りがつけられていた。
 長崎へ遊学(留学)した保本は、帰ってくれば父の友人である天野源伯が推薦し、幕府の医学機関へ出仕と天野の娘で許嫁のちぐさ(藤山陽子)との結婚が決まっていた。だが、ちぐさは保本の遊学中に他の男と恋仲になり、子供まで生んでいた。納得できない保本だが、幕府からの辞令であるため勝手に出て行けない。ストライキを起こし、新出が自分を追い出すまで勤務にもつかず不貞寝を決め込む。
 新出が不在の夜、養生所の敷地に建てられた寮の座敷牢に閉じ込められた若い狂女(香川京子)が、保本の部屋に忍び込んでくる。何人もの男を殺した娘と知りながら、喩えようもない美しさに惑わされ、隙を見せた保本が殺されかけるが、間一髪で新出に救われる。怪我を負った保本を新出は叱らず「恥じることはないが、懲りるだけは懲りろ」と治療をする。
 勤務に復帰した保本は、新出の往診に同行する。松平壱岐(千葉信男)や和泉屋徳兵衛(志村喬)といった実力者の上前をハネて、裏長屋にすむ最下層の人間たちの治療費にあてる新出は、同時に社会が貧困や無知といった矛盾を生み、人間の命や幸福を奪っていく現実から目を逸らしていなかった。
 許嫁のちぐさに裏切られるなど心の傷を負っていた保本は成長を遂げ、ちぐさの妹であるまさえ(内藤洋子)との結納の席で、天野の推薦で決まった幕府への出仕はせず、小石川養生所で勤務を続けたいが同意してくれるかと、まさえに問い、彼女の気持ちを確かめる。
 ラスト、保本は新出と小石川養生所へ続く坂を上りながら、己の決意を伝えている。自分が決して尊敬されるべき人物でなく、無力な医師でしかないと新出は語り、保本の情熱を無軌道なものと拒絶するが、保本はあきらめず、最後に新出は保本へ忠告する。
 「お前は必ず後悔する」 「試してみましょう」
保本へ背を向け、小石川養生所の門をくぐっていく「赤ひげ」。その背後の巨大な門は丁度、二人の人間がしっかりと手をつないでいるかのようにも見え、二人の未来を暗示している。(wikiより)
 
もう、クロサワ映画はうんざりだ
と思っているそこのあなた!
私もうんざりしています。
すこし間隔を置こうと思っていたんですが、
間違ってレンタルしてしまったので、
勿体ないので観てしまいました。



この映画は、本来なら丁寧に観て感想文を書くべき映画だと思います。
製作に2年費やされたそうです。
まだ、日本映画界に余力が残っている時代の、
隅々までお金をかけた申し分のない大作です。
 
この映画を完成するための黒澤の努力はすでに伝説となっている。主要なセットは非常に巨大で、実際に一つの完全な町並みで、裏通りと横通りもついているが、そのいくつかは一度も画面に表れなかったものである。(「黒澤明の映画」ドナルド・リチー著より)
 

 
四季の変化を巧みに取り入れた映像美は、
まるで日本の観光紹介の映画のようです。
お話も、貧しい人々に焦点を当てた文句のつけようのない「いい話」です。
凡庸な時代劇とは違って、江戸時代の庶民の貧しさを丁寧に描いています。
虐待で心を閉ざしてしまった少女おとよ二木てるみ)が保本との交流で、
次第に心を開くようになるエピソードには胸打たれるものがあります。
世界各国で、いろいろな賞を受賞している「名画」のようです。
皆さんのレビューを読んでも、概ね好評でした。。。
 
でも、私が物足らなく思ったのは、肝心の「赤ひげ」先生が、
あまりにできすぎていて影がない。
山本周五郎の原作では、もっと屈折した人物として描かれているそうですが、
映画ではあまりに「聖人」
すぎて、人間としての深みが感じられませんでした。
大体、なぜこの先生が
こんな封建時代に聖人君子として振る舞うのかが理解できない。
黒澤氏は医者を主人公にするのがお好きなようですが、
「酔いどれ天使」(1948年)で描かれた
同じように貧しい人々に手を差し伸べる医者は、
自らがアル中で、自分が出世街道から逸れたことを後悔する人間味がありました。
それに対して、「赤ひげ」先生は、人生の師としてまったくケチのつけようがない。
お酒すら飲まないようです。
先生が、どうしてこのような「善行」を施す医者となったのか?
その経歴には、一切触れられません。
これは、映画が作られた時代の黒澤氏の境遇の変化によるものかもしれません。
世界的に認められた巨匠としての地位を確立した
得意の絶頂期にあったには、
もしかしたら自分自身がそういう風に見えたのでしょう。
(「赤ひげ」先生が黒澤氏の自画像であろう事は概ね想像できます。)
けれども、前にこのブログで記事にしましたが、
この後、黒澤氏は大きな挫折を味わうことになります。
高い製作費が災いして映画が撮れなくなります。
自殺未遂にまで追い込まれます。
信頼していた側近の裏切りにもあったようです。
 
後の(私が名作だと思う)「乱」(1985年)で、
人生の師たる一文字秀虎の大仰な説教が
見事に裏切られてしまう「白けた可笑しさ」淀川長治氏評)は、
この映画が伏線だったと思えば、また興味深いものがあります。
黒澤映画は、全作品をひとつの映画としてみた方がいいのかもしれません。

日本映画全盛期の最後の輝きを見るのには、いい映画でしょう。
思えば、三船敏郎主演の最後の黒澤映画でした。。。