「孤独」ということ
「孤独」ということ
自分で言うのもなんですが、
私は子供の頃、大変可愛らしい子供でした。
なんたって、街を歩いててTV局の人にスカウトされて、
短期間ながらCMに出ていたぐらいですから。
学校の成績も、ある時期までは飛び抜けてよかった。
だから、学校の先生も私を特別扱いしてくれました。
私の性格が、もっと協調性があるものだったら(笑)、
沢山の友人を作って、楽しい青春を謳歌してたことだろうと思います。
「皆が私に関心を持つのは、私が今上手くいっているからで、
もし、人生の落伍者となったら誰も相手にしてくれないだろう。
でも、そういうのは本当の友情ではない。」
とかなんとかいう理屈を、つねづね考えていました。
だからという訳ではないですが、
どちらかと言えば引きこもりがちの孤独を愛する人間になっていきました。
アメリカの諺に、
「成功には百人の父親が現れるが、失敗者は孤児である。」というのがあります。
自分が「犯罪者」として扱われるようになって、
今まで自分をチヤホヤしていた取り巻き連中たちが、
潮が引くように去っていくのに大変ショックを受けたそうです。
私は、そうなるのが恐ろしくて
最初から世間から逃避していたのかもしれません。
というか、元々孤独を愛する「分裂気質」という性格からだったでしょうね。
その後の私の人生は、
世間的には必ずしも輝かしいものではありませんでした。
所謂「二十歳過ぎれば唯の人」というやつです。
でも、さほど「孤独」というものを感じなかった。
ところが、最近「孤独」というものをしみじみ考えるようになってきました。
世間に昔ほど相手にされなくなった自分が寂しくなってきた。
年齢のせいでしょうか?
ブログなんて始めたのも、おそらくそのせいでしょう。
人間は贅沢な生き物で、自分の持っていないものを欲しがるのかもしれません。
皆に関心を持たれる可能性のあるときは「孤独」を求め、
相手にされなくなると「親交」を求める。
但し、誰彼なしに付き合いたわけではありません。
気心のしれた少数の人たちと深く関わりたいのが本音なんです。
最近は、皆さんのブログにもあまり訪問もコメントもしていません。
だから、コメントいただけなくても結構ですが、
でも、もし何か感想があればお伺いしたいものです。
ブログを休むという宣言を反故にしてまで、
敢えて記事にしてみました。
※恋愛事件はどうなったんだ?という野暮な疑問は抱かないでくださいね。(笑)