映画「風の丘を越えて/西便制」を鑑賞する!

映画「風の丘を越えて/西便制」を鑑賞する!

 

 
1993年 韓国
 
あらすじ:山奥の酒屋兼旅籠にドンホという男が訪れる。彼は、パンソリ唱者である養父のユボンとその養女ソンファを探しているのだった。ドンホは、女主人から消息を聞かされる。
 ドンホが幼かった頃、ドンホの母である後家のもとに居ついたのが旅芸人のユボンと、その養女のソンファだった。ドンホの母は出産の際に落命し、ひとり残されたドンホは、ユボン・ソンファとともに旅芸人となる。ユボンは、ソンファには歌を、ドンホには太鼓を教え込むが、修行は厳しく、生活も楽ではない。時あたかも西洋音楽が流行するようになり、パンソリは古い芸能として忘れられつつあった。ある日ドンホは、衰退しつつあるパンソリに固執するユボンと言い争い、そのもとを飛び出す。
 しかしドンホは、ユボンとソンファを懐かしく思い出すようになる。薬の仲買人として旅をしながら、彼らの足跡を辿るドンホは、パンソリの奥底にある「恨(ハン)」を極めるために壮絶な親娘の生を見出すのだった。
ユボンは、漁村で暮らしているというソンファに会いに行く。
 
 
私が初めてみた中国映画京劇の話であったように、
初めてみた韓国映画伝統芸能パンソリのお話でした。
辛く悲しいお話でした。
そして、初めて接するパンソリの素晴らしさに心を奪われました。
これはおそらく字幕で言葉の意味が分かったからだと思いますが、
何とはなしに、日本の民謡などとの類似性もあってか、
すんなりと心に入っていきました。

実をいうと私は韓国の文化、国民性が大の苦手でした。
偏見だといわれても仕方がないと思うんですが、
よく言われる「恨(ハン)の文化」って、結局ルサンチマンじゃないのか?、
日本人に対して、
日帝36年の恨み」とか
豊臣秀吉の倭乱」とか
「日本の中の朝鮮文化」としか言わないのも、
近代化に一歩先んじた日本への嫉妬じゃないの?と思っていました。
若いころ「日本の中の朝鮮文化」を著した在日コリアの作家に、
抗議の手紙を書いたこともあります。
(なんと、返事が来た!)
 
しかし、最近は事情が変わっているようですね。
日韓の力関係は逆転しつつあります。
韓国のアイドルスターが日本で活躍する時代になってきた。
韓国人が自分たちに自信を持つようになってきたらしい。
この映画が作られたのは1993年ですが、
この頃になると、韓国も経済成長をかなり遂げた時代のはずです。
ですから、自分たちの貧しかったころの事を
ある程度客観的に見れるようになってきたんじゃないんでしょうか?
だから、こういうお話を作れる余裕が出来てきた。
この映画でみられるような庶民の貧しさは、
つい最近まで、日本にもあったものです。
 
話は逸れますが、
アジア各国で大ヒットしたNHKのTVドラマおしんが唯一ヒットしなかった国が、
カンボジアだったそうです。
他のアジアの国々はある程度経済的に豊かになってきたから、
おしんの貧乏話を受け入れることができましたが、
カンボジアでは、いまだに貧しさが残っていたので、
フィクションとして受け止めることができなかったんでしょう。

この映画は、
映画に関しては絶対かなわないポニーさんが絶賛していたので、
観てみることにしました。
 
ラストの弟との再会シーンが圧巻! 解説には『聴く者の胸に響き、血管の中に流れ込む様な錯覚』とありますが、それ以上のものがある。映画を見てこれほど感動したものはない。絶対に誰もが心に響くだろう。
 
ポニーさんのブログにありますが、
まさにその通り、ケチがつけようのない迫力でした。
ただ、他の方のレビューをも読んでいて気になったのは、
血のつながりのない娘を盲目にさせた父親の仕打ちを、
「修行の為」と解釈する人が多いことでした。
それは絶対違います
美声の持ち主の養女ソンファに逃げられたら
飯のタネがなくなることを恐れた養父のユボン
単なる残酷な策略に過ぎない。
私はそう思います。
貧しさは人間性を荒廃させるものです、きっと。