映画「麦秋」(1951年) 小津安二郎作品
映画「麦秋」(1951年)小津安二郎作品
あらすじ:北鎌倉に暮らす間宮家は、初老にさしかかった植物学者の周吉とその妻・志げ、長男で都内の病院に勤める医師の康一、康一の妻・史子、康一と史子の幼い息子たち2人、それに長女で会社員の紀子という大家族である。まだ独身の紀子は、親友のアヤから同級生が結婚することになったという話を聞き、紀子の上司・佐竹からも“売れ残り”だと冷やかされる。
春のある日、周吉の兄・茂吉が大和から上京してきた。茂吉は28歳になっても嫁に行かない紀子を心配する一方、周吉にも引退して大和へ来いと勧めて帰っていく。同じ頃、佐竹も紀子に縁談を持ち込んできた。商大卒、商社の常務で四国の旧家の次男となかなか良い相手のようで、紀子もまんざらでもない風である。
縁談は着々と進んでいる様子で、康一の同僚の医師・矢部の耳にもこの話が入ってきた。矢部は戦争で亡くなった間宮家の次男・省二とは高校からの友人だが、妻が一昨年に幼い娘を残して亡くなっており、母親・たみが再婚話を探しているのである。
間宮家では、紀子の縁談の相手が40歳でしかも初婚であることがわかり、志げや史子は不満を口にするが、康一は「紀子の年齢では贅沢は言えない」とたしなめる。
やがて、矢部が秋田の病院へ転任することになった。出発の前の夜、矢部家に挨拶に訪れた紀子は、たみから「あなたのような人を息子の嫁に欲しかった」と言われる。それを聞いた紀子は「あたしでよかったら…」と言い、矢部の妻になることを承諾するのだった。間宮家では皆が驚き、佐竹からの縁談のほうがずっといい話ではないかと紀子を問いつめるが、紀子はもう決めたことだと言って譲らず、皆も最後には了解する。
紀子の結婚を機に、周吉夫婦も茂吉の勧めに従って大和に隠居することにし、間宮家はバラバラになることとなった。初夏、大和の家では、周吉と志げが豊かに実った麦畑を眺めながら、これまでの人生に想いを巡らせていた。(Wikiより丸写し
)
春のある日、周吉の兄・茂吉が大和から上京してきた。茂吉は28歳になっても嫁に行かない紀子を心配する一方、周吉にも引退して大和へ来いと勧めて帰っていく。同じ頃、佐竹も紀子に縁談を持ち込んできた。商大卒、商社の常務で四国の旧家の次男となかなか良い相手のようで、紀子もまんざらでもない風である。
縁談は着々と進んでいる様子で、康一の同僚の医師・矢部の耳にもこの話が入ってきた。矢部は戦争で亡くなった間宮家の次男・省二とは高校からの友人だが、妻が一昨年に幼い娘を残して亡くなっており、母親・たみが再婚話を探しているのである。
間宮家では、紀子の縁談の相手が40歳でしかも初婚であることがわかり、志げや史子は不満を口にするが、康一は「紀子の年齢では贅沢は言えない」とたしなめる。
やがて、矢部が秋田の病院へ転任することになった。出発の前の夜、矢部家に挨拶に訪れた紀子は、たみから「あなたのような人を息子の嫁に欲しかった」と言われる。それを聞いた紀子は「あたしでよかったら…」と言い、矢部の妻になることを承諾するのだった。間宮家では皆が驚き、佐竹からの縁談のほうがずっといい話ではないかと紀子を問いつめるが、紀子はもう決めたことだと言って譲らず、皆も最後には了解する。
紀子の結婚を機に、周吉夫婦も茂吉の勧めに従って大和に隠居することにし、間宮家はバラバラになることとなった。初夏、大和の家では、周吉と志げが豊かに実った麦畑を眺めながら、これまでの人生に想いを巡らせていた。(Wikiより丸写し
)
いい映画であるには違いないんでしょうけれど、
私には、ちょっと冗長に感じられました。
老け役でない笠智衆(医師の康一役)は、何だかミイラのようで気味が悪い。(笑)
原節子の事を、改めて大根役者だと認識致しましたが、
調べてみると、これは私だけの意見ではないらしい。
でも、何だかんだって、その美貌には見とれてしまいます。
お話は、例によって「娘の嫁入り」であります。
婚期の女性が結婚を決意するまでの経緯。
小津作品に親しむという事は、
この同じ話を、手を変え品を変え聞かされるという事であります。
とは申しましても、今まで観てきた小津作品とはかなり趣が違いまして、
三代、四代にわたる家族のありようが、重層的に描かれます。
小津本人の弁によると、
「ストーリーそのものより、もっと深い《輪廻》というか《無常》というか、そういうものを描きたいと思った。」
そうなので、ストーリーを楽しむよりも、細部を鑑賞する映画なのでしょう。
それにしても、1951年と言えば、まだまだ敗戦の影響が色濃い時代のはず。
この映画には、この時代の貧しさの影が一切、見られません。
こういったブルジョア志向が、
松竹ヌーベルバーグの世代の監督に大いに批判されたそうですが、
逆に、作品に普遍性を与えているとも言えますよね。
(小津作品を、SF映画だと評する方もおられます。)
時を置いて、もう一度見直したい映画でした。