タテマエとホンネ6


1935年~ 2006年

 国立大学協会会長にまでなった、エライ人。一橋大学学長。ヨーロッパ中世史(ヨーロッパにおいて個人主義がいかに成立していったか)が専門だったが、晩年は、日本人の「世間」という生き方に関心を示した。『「世間」とはなにか』(講談社現代新書)は、私の愛読書のひとつ。
 『「世間」とはなにか』の続編、『「教養」とはなにか』においては、「建前と本音」についての一章が設けてある。ヨーロッパの歴史に詳しいだけに、やはり、「タテマエとホンネ」がかなり日本特有のものであることが、如実に示される。
 この方の、問題提起をもとに、「世間」から日本社会を研究する、「日本世間学会」(http://www.unicahier.com/SEKEN/seken.html)
なるものが作られた。

「 しかしひとたびその内容が発言者個人の生き方に関わる場合には複雑な事態となった。なぜならそこには「世間」が生きていたからであり、公的な発言をするものは常に自分の生き方と離れて別な次元のこととして話をしたのであり、自分の「世間」に関わらないよう用心していたのである。
 こうして建前と本音の世界の区別が生まれたのである。人々は公的な発言をする際には常に欧米流の内容を主として発言し、公的な場を離れたときには自分の「世間」に即して本音でしゃべったのである。明治以降我が国はこのようにして理念の世界と本音の場の世界との二つの極をもつことになり、特に知識人の場合はその相克は深刻なものがあった。」
(『「教養」とはなにか』 1997年 講談社現代新書 P13)