タテマエとホンネ8

宮本政於

1948年~1999年

 日本大学医学部卒業後、イェール大学に留学。コーネル大学・ニューヨーク医科大学助教授を歴任した後、1986年厚生省に課長補佐として入省。というエリート街道を歩みながら、日本社会のムラ体質になじめず、厚生省を内部告発した「お役所の掟」を出版し、ベストセラーとなる。多分、普通のサラリーマンが言いたくても言えないことを正直に書いたのが、本がよく売れた原因だろう。当時日本はバブル経済の真っ只中で、欧米で「ジャパンバッシング」が盛んだったこともあり、海外でも大きく報じられた。それがかえって、日本人の「身内の恥をさらす」という意識に拍車を駆け、役所での左遷、イジメ、それをまた本に書いて出版するという事態となった。
 1995年に無断欠勤などを理由に懲戒免職となり、厚生大臣に処分の取消しを求めて東京地裁に提訴したが、「阪神大震災で被災者救援などのため待機している時期と知りながら私的な目的で海外に無断渡航し、上司の帰国命令にも従わなかった」として敗訴した。
 懲戒免職後はフランスで暮らしていたが、がんのため死去。新聞には小さな記事しか載らなかったが、大変珍しい日本人なので、その早い死は、私には残念である。ちょっと我儘な人と言えなくもないが、バブル経済が崩壊し低迷を続ける日本経済を見ると、先見の明があったのではないか?

クリントン大統領は二年ほど前、エリツィン大統領と会談した際、日本人の「イエス」は「ノー」の意味だと忠告しましたが、このアドバイスは正しかったのです。 
 しかし、現実的には「ノー」をいわずに社会生活を行うことはできません。そこで発達したのが「本音」と「建て前」の使い分けです。
 「我々欧米社会でも『建て前』と『本音』の使い分けをします。」そう反論する人もいるでしょう。それは一種の外交的な人間関係の中で行われている対応で、毎日の生活に密着したものでないと思います。
 しかし、日本では「ノー」、すなわち人間の中にある攻撃性を引き出さないようにするために「建て前」と「本音」が使われているのです。
 日常生活において「本音」が前面に出されたことを考えてみましょう。「本音」の議論は必ずと言っていいほど反論を招きます。
欧米諸国では「本音」を語ることはディベート(論争)へとつながります。こうしたディベートを行えるからこそ、客観的な方向性がでてくるのです。
 ところが、日本でディベートを行うと、相手によっては人格を否定されたように思ってしまいます。反論された相手は傷ついてしまうのです。」

(「官僚の官僚による官僚のための日本!?」講談社+α文庫 講談社 1996年)