「虎の尾を踏む男達」
この映画、1945年と、まさに日本の歴史的転換期に作られたものですが、
(そのため、公開には困難が付きまといました。後述。)
井上陽三さんや、おすぎさんも絶賛している、今なお色褪せない名作です。
のちの黒澤作品のモチーフの萌芽がいたるところに、見出されます。
物語は、歌舞伎で有名な「勧進帳」をベースにしています。
勧進帳(Wikipediaより)
源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の加賀国の、安宅の関(石川県小松市)での物語。義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。しかし関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いていた。焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると弁慶が言うと、富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)。
なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問い正すが、弁慶は淀みなく答える(山伏問答)。富樫は通行を許すが、部下のひとりが義経に疑いをかけた。弁慶は主君の義経を金剛杖で叩き、疑いを晴らす。危機を脱出した一行に、富樫は失礼なことをした、と酒を勧め、弁慶は舞を披露する(延年の舞)。踊りながら義経らを逃がし、弁慶は富樫に目礼し後を急ぎ追いかける(「飛び六方」)。
初期の演出では、富樫は見事に欺かれた凡庸な男として描かれていたという。後にはこれが、弁慶の嘘を見破りながら、その心情を思い騙された振りをする好漢として演じられるようになった。
黒澤明の非凡なところは、このシリアスな時代劇に、
↑榎本健一(1904年 - 1970年)
重厚な時代劇に、あたかもそれを茶化すような狂言回しを登場させ、
しかも、その身分の卑しい脇役の「愚行」が、後に、物語の重要な鍵となる。。。
このアイディアは、後に明らかに「隠し砦の三悪人」(1958)に継承されています。
(高貴な身分の人が、敵に追われて苦難を乗り越えて、自由の地に脱出するお話も。)
この映画は、その原型の原型と言えるでしょうね。
敵の目を欺くために、弁慶が主君の義経を金剛杖で殴打し、
富樫が、それが演技であることを見破って涙するシーンには、
胸詰まるものがあります。
↑富樫左衛門役の藤田進は、当時の大スターで、
三船敏郎が現れるまでの、黒沢映画の主役でした。
映画全体が、ミュージカル仕立てになっていて、音楽も、斬新なものです。
この映画は、まだ戦時下に企画されました。
従って、「この映画は、武士道を馬鹿にしている。」と、軍部が製作に難色を示しました。
ところが、映画が完成した時には、日本はアメリカの占領下にありました。
今度は、「この映画は、武士道を称賛している。」とGHQから横やりが入り、
映画の公開は1952年にまで、延期されたそうです。
いい芸術作品は、多義的なものだという好例だと思います。
☆おまけ
義経Kittyと、弁慶Kitty
急いで書いたので、誤字脱字があまりに多く、 |
修正しました。 |
読んでいただいた方、ありがとうございました。 |