「野良犬」

「野良犬」

(1949年)新東宝




製作:本木荘二郎
脚本:黒澤明菊島隆三
音楽:早坂文雄
監督:黒澤明




黒沢映画を敬遠する方の中には、

その理由の一つに、

説教臭さに辟易す方も、多いと思います。

確かに、クロサワ映画は説教臭いです。

(さすがの私も、「赤ひげ」は、説教が鼻について、見ていられませんでした。)

こういうところは、トルストイに似ています。しかし、良質の黒沢映画の長所は、

物語が、映像が、その説教を裏切ってしまうところにあると、

私は思います。

この映画は、その好例です。






あらすじを紹介したいと思います。

(ネタばれになるので、ご注意を。)


ある猛暑の日、村上刑事(三船敏郎)は射撃訓練からの帰途のバス中で、拳銃を掏られてしまう。彼は焦り戸惑いながらも、この犯行を幇助した女スリを端に、ベテランの佐藤刑事(志村喬)の指揮の下、拳銃の闇ブローカー・本多(山本礼三郎)までを突き止め逮捕する。しかしその最中にも村上の拳銃による強盗傷害、果ては殺人までが起こってしまう。。。(犯人は「遊佐」(木村功))

飽食の世代の私たちからは、

想像もできない敗戦直後の日本の風景が描かれていて、

それを観るだけでも、一見の価値があります。

そして、黒沢映画には欠かせない、師弟関係と、説教。

佐藤刑事の説教は、

佐藤「私の家もごらんのとおりあばら家だが、遊佐のところは、もっとひどいね。・・・汚いところには蛆が湧ってもんかな。」


村上「世の中には、悪人はいない、悪い環境があるだけだ・・・そんな言葉もありますが、遊佐という男も考えてみリぁ、かわいそうな奴ですね。」

(中略)

佐藤「犯人の心理分析なんて小説家に任せておくんだな・・・おれは単純にあいつらを憎む・・・悪い奴は悪いんだ・・・」

村上「僕ァまだ、どうも、どういう風に考えられないんです・・・長い間戦争をやっている間に、人間というやつが極く単純な理由で獣になるのを何回も見てきたもんだから・・・」

(中略)

佐藤「それそれ、その戦後派っていう奴だよ、君は・・・遊佐もそうかもしれん。君には遊佐の気持ちがわかりすぎるんだよ。」

ピストルを盗まれた刑事の村上と、殺人犯の遊佐は、同世代です。

敗戦直後の、人の心も荒廃した時代です。

村上は、その時代に、警察官を目指しました。

遊佐は、犯罪者に落ちぶれました。





話は前後しますが、

発砲事件が起き、それが村上刑事のピストルによるものだと判明すると、

村上刑事は、辞表を提出します。

上司は、その辞表を目の前で破き、こう説教します。

不運は人間をたたきあげるか、押しつぶすかどちらかだ。

君は、押しつぶされる気か?

気分を変えると、君の不運は、君のチャンスだ。

これは、いいセリフですね。


これ以上、詳しい話は省略しますが、

村上刑事=善、遊佐=悪という図式が、物語の流れになります。

(当たり前ですが。)

しかし、この映画を最後まで見ると、

そう単純に、割り切れない何かを感じます。




↑銃声に驚いて、窓を開ける裕福なお嬢さん


最後に、遊佐は、村上刑事と格闘の末、捕まるのですが、

その時に、子供の歌声が聞こえてきます。

これは、対位法という、

悲しい場面に、わざと楽しい音楽を流す映画の技法だそうです。

北野武が、よく使います。)





手錠をかけられた犯人が嗚咽するシーンは圧巻で、

前述の佐藤刑事の説教が、何か虚しいものに見えてきます。

前にも書きましたが、

こういった多義性が、私にとって黒沢映画の魅力です。


アクション映画の魅力を、

言葉で表現するのは、難しいのでこれくらいでやめておきますが、

いわゆる刑事映画のはしりで、

アメリカ映画にも、大きな影響を与えています。