何故、私は安易なヒューマニズムを嫌うのか?

何故、私は安易なヒューマニズムを嫌うのか?


人さまのブログに行って、毒舌ばかり吐いていたのでは嫌われるので、

私なりに、私の考えを書いてみたいと思います。

ともかく、日本人の左翼思想やリベラリズムは胡散臭い。

古くは、ファシズムの時代に、左翼的知識人のほとんどが、

軍部に寝返ったの手始めとして、(武者小路実篤の醜態!)

戦後マルクス主義者の無責任。(北朝鮮をどうするつもりだ!)

日本社会党の転向。(大臣になりたかっただけじゃないか!)

枚挙にいとまがありません。


といっても、それを適確に表現する文章力もないので、

尊敬する思想家、福田恒存の言葉を引用します。

これは、敗戦直後に書かれた文章ですが、

今もって説得力があります。

この頃は、つい最近まで国粋主義者だった大学教授まで、

いつの間にか、民主主義者に転向し、

至るところで、人権、平和、戦争反対が叫ばれた時代でした。

そういった軽佻浮薄な社会の風潮に異議を唱え、

一人孤独に自説を唱え続けた思想家です。


※さわりのところだけ、引用しますので、

前後関係がわかりにくいかもしれません。

興味のある方は、福田氏の著作をお読みください。


 下手をすれば自分がならず者として葬り去られ、ほとんど追放同様の憂目にあふかもしれないといふ覚悟を持った人たちによって推進されてきた先進国の進歩の歴史といふものを考え、それでは近代日本の歴史はどういふふうにして成り立ってきたかといふ事を考へて見ると、まことに寒々しい思ひをしなければならないのであります。明治の革命のときも同様ですが。今度の戦争のあとでも、古いものはすべて悪いのだといふ、実に安易な観念ですべてが処理されました。戦争前の事は何もかも悪いをいふことになつてしまつた。これはだれか特定の個人の冒険によつていはれたことでない。一人の人間が命を賭けてさういつたのではない。進歩的な言動、過去の否定、それはいかにも颯爽としていて、勇ましかつたけれど、よく考えてみれば、勇気も恐れも要つた話ではありません。社会全体が、その風潮が革新者の味方なのです。アメリカ占領軍がその味方だつただつたのです。明治、大正においてはヨーロッパ先進国が味方だつたのです。錦の御旗われにあり、で、革新くらい易々たるものはものはなかつた。(中略)

 かうした事情は西洋の先進国とまつたく反対です。そこでは錦の御旗はつねに保守派にあった。改革派はひよつとすると追放されるかもしれません。危険を冒しながら革新をやらうとしていたのだ、さういう意識が革新家自身を暗々裏に支配していました。(中略)

 大義名分は日本ではつねに革新者側にあつたと申しましたが、なぜさうなるかと申しますと、これはいふまでもありませんが、外国で行われた革新がその地で成功をして、すでに良かつたという証明ずみのものばかりが日本へはいつてくるからであります。民主主義にしろ、人道主義にしろ、共産主義にしろ、みんなさうでありますが、西洋で実験済み、検査済みのものが日本に入ってくる。ですから大義名分我にありといふふうになるのであります。(後略)

                        『日本を思ふ』 福田恒存著(文春文庫)

命を賭けて、人権擁護のために闘った日本人が、何人いるんでしょうか?