「姿三四郎」
「姿三四郎」
もう、黒澤シリーズには、うんざりしている方が多いと思いますが、
めげずに初志貫徹、続けてまいりたいと思います。(^◇^)
この映画は、黒澤氏の処女作であります。
以下、ウィキペディアより、あらすじ。
明治15年、会津から柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎は門馬三郎率いる神明活殺流に入門。ところがこの日、門馬らは修道館柔道の矢野正五郎闇討ちを計画していた。近年めきめきと頭角を現し警視庁の武術指南役の座を争っていた修道館柔道を門馬はいまいましく思っていたのだ。ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活殺流は全滅。その様に驚愕した三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。
やがて月日は流れ、三四郎は修道館門下の中でも最強の柔道家に育っていたが、街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう手の付けられない暴れん坊でもあった。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝。反発した三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込み死ぬと豪語するが矢野は取り合わない。兄弟子たちが心配する中意地を張っていた三四郎だが、凍える池の中から見た満月と泥池に咲いた蓮の花の美しさを目の当たりにした時、柔道家として、人間として本当の強さとは何かを悟ったのであった。。。
やがて月日は流れ、三四郎は修道館門下の中でも最強の柔道家に育っていたが、街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう手の付けられない暴れん坊でもあった。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝。反発した三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込み死ぬと豪語するが矢野は取り合わない。兄弟子たちが心配する中意地を張っていた三四郎だが、凍える池の中から見た満月と泥池に咲いた蓮の花の美しさを目の当たりにした時、柔道家として、人間として本当の強さとは何かを悟ったのであった。。。
この映画、黒澤氏33歳の時の作品です。
黒澤氏は、いわゆるエリートでは、ありません。
若いころは、画家を志し、仁科展にも入選するほどの腕前だったのですが、
生活の為か、映画監督を志したノンキャリアです。
どうして、キャリアのない人達が、若くして映画監督になれたかが、
不思議なのだそうですが、
当時は、映画というものを、芸術だとはだれも思っていない、
せいぜい大衆の娯楽にすぎなかったからでしょう。
従って、若い人達が、自由に創造性を発揮する事が出来ました.
(このあたりの事情は、現代のマンガに通じるものがありますね。)
作家は、その処女作に後の作品のすべてが込められているとよく言われますが、
この映画も、後の黒沢作品の主題が、よく表れています。
つまり、
強すぎる人間は、どう生きたらいいか? |
日本は聖徳太子の昔から、和を尊ぶ民族です。
日本人の国民性を示す諺には、決まって、
出る杭は打たれる
と言うのが引用されます。
従って、とびぬけた才能を持つ人には、生きにくい国です。
以後の黒澤氏の人生は、姿三四郎のように、連戦連勝の人生でした。
当然、同時代人の嫉妬と反感も大いに買いました。
黒澤天皇とも、揶揄されました。
そう云う日本の社会とのジレンマを、
この処女作が、先取りしているように、私には思えます。
以後の黒沢映画は、1975年の『デルス ウザーラ』によって、この英雄が死を迎えるまで、
その作品のテーマの多くは、英雄をめぐる物語になっていきます。
この英雄と、日本の社会の間に起きる激しい摩擦とダイナミズムが、
私にとって、黒沢作品の最大の魅力です。
この映画とは何も関係ありません、念のため。