「姿三四郎」


監督 黒澤明
脚本 黒澤明
出演者 藤田進
大河内傳次郎
音楽 鈴木静一
撮影 三村明
編集 後藤敏男
配給 社団法人 映画配給社(紅系)
公開 1943年3月25日


もう、黒澤シリーズには、うんざりしている方が多いと思いますが、

めげずに初志貫徹、続けてまいりたいと思います。(^◇^)


この映画は、黒澤氏の処女作であります。

以下、ウィキペディアより、あらすじ。

明治15年会津から柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎は門馬三郎率いる神明活殺流に入門。ところがこの日、門馬らは修道館柔道の矢野正五郎闇討ちを計画していた。近年めきめきと頭角を現し警視庁の武術指南役の座を争っていた修道館柔道を門馬はいまいましく思っていたのだ。ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活殺流は全滅。その様に驚愕した三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。

やがて月日は流れ、三四郎は修道館門下の中でも最強の柔道家に育っていたが、街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう手の付けられない暴れん坊でもあった。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝。反発した三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込み死ぬと豪語するが矢野は取り合わない。兄弟子たちが心配する中意地を張っていた三四郎だが、凍える池の中から見た満月と泥池に咲いた蓮の花の美しさを目の当たりにした時、柔道家として、人間として本当の強さとは何かを悟ったのであった。。。








この映画、黒澤氏33歳の時の作品です。

黒澤氏は、いわゆるエリートでは、ありません。

若いころは、画家を志し、仁科展にも入選するほどの腕前だったのですが、

生活の為か、映画監督を志したノンキャリアです。

外国の研究家たちは、小津安二郎(元代用教員)にしろ、黒澤明にしろ、

どうして、キャリアのない人達が、若くして映画監督になれたかが、

不思議なのだそうですが、

当時は、映画というものを、芸術だとはだれも思っていない、

せいぜい大衆の娯楽にすぎなかったからでしょう。

従って、若い人達が、自由に創造性を発揮する事が出来ました.

(このあたりの事情は、現代のマンガに通じるものがありますね。)



作家は、その処女作に後の作品のすべてが込められているとよく言われますが、

この映画も、後の黒沢作品の主題が、よく表れています。

つまり、

強すぎる人間は、どう生きたらいいか?


日本は聖徳太子の昔から、和を尊ぶ民族です。

日本人の国民性を示す諺には、決まって、

出る杭は打たれる

と言うのが引用されます。

従って、とびぬけた才能を持つ人には、生きにくい国です。

以後の黒澤氏の人生は、姿三四郎のように、連戦連勝の人生でした。

当然、同時代人の嫉妬と反感も大いに買いました。

黒澤天皇とも、揶揄されました。

そう云う日本の社会とのジレンマを、

この処女作が、先取りしているように、私には思えます。

やがて修道館の矢野の元に新しい柔術道場開きの招待状が届く。その場で他流試合を設けたいという誘いであったが、これは暗に神明活殺流の門馬が裏切りと積年の復讐を果たすために三四郎にあてた挑戦状であった。しかし実力を増してきた門馬も既に三四郎の敵ではなく、三四郎の必殺投げ技「山嵐」が決まった時、門馬は壁に頭をぶつけ死んでしまった。試合とはいえ他人を死なせてしまったこと、その場にいて悲劇を目撃してしまった門馬の娘の悲痛な目が脳裏から離れず、三四郎は柔道を続ける意義を見失ってしまう。




師匠の矢野の猛特訓によりやっと戦う気力を取り戻した三四郎は、神社でひたすらに祈る一人の美しい娘と出会う。この娘こそ良移心当流師範、村井半助の娘の小夜であった。先の死闘を見た村井半助は警視庁武術大会での試合を三四郎に申し込み、小夜は老いた父の勝利を願って祈りを捧げていたのであった。その事を知った三四郎は自分が試合にどう臨めばいいのか自問自答しまたもや袋小路に陥ってしまうが、修道館のある寺の和尚に「その娘の美しい強さに負けない、お前の美しかった時を思い出せ」と蓮の花が咲いていた泥沼の三四郎がしがみついてきた杭を指差されたとき、彼の心は決まった。。。




英雄志向の強い西洋人に、黒澤映画が高く評価され

判官贔屓の日本人には、敬遠される。

そう決めつけると、単純すぎるかもしれませんが、

以後の黒沢映画は、1975年の『デルス ウザーラ』によって、この英雄が死を迎えるまで、

その作品のテーマの多くは、英雄をめぐる物語になっていきます。

この英雄と、日本の社会の間に起きる激しい摩擦とダイナミズムが、

私にとって、黒沢作品の最大の魅力です。



ちなみに、東大にある三四郎池を、この姿三四郎が飛び込んだ池だと思っている方が多いらしいですが、

東大の三四郎池は、夏目漱石の『三四郎』に由来しているのであって、

この映画とは何も関係ありません、念のため。