日本人の「個」としての弱さ
またぞろ、オリンピックの季節がやってきて、
皆さまのブログを拝見いたしますと、それぞれ感動した事など、
丁寧に書かれていて、興味深く読ませていただいています。
ところで、
世界第3位(中国に追い抜かれた!)の経済大国にしては、 |
メダルの数が少なすぎる! |
と思われませんか?
かつての社会主義国や、韓国、中国などがしている、
メダルを取ると国家から年金をもらえたりする制度が日本にはないとか、
蔭では人種差別があるからだとか、いろいろな意見があるとは思いますが、
私には、日本人の「個」といての弱さが、如実に反映されているように思えます。
同じ事は、自然科学分野におけるノーベル賞受賞者が、
あまりにも少ない。
賞を取っても、その人が海外で研究したものであったり、
組織のアウトサイダーであったりすることが多いという現象にも言えます。
日本人の民族的特徴を挙げるとき、決まって使われる諺は、
赤信号、みんなで渡れば怖くない |
と、毒舌を吐きました。
作家、村上龍は、こういった特徴を常に問題視してさまざまな発言をしています。
今、日本で個人という言葉を使うと、ある罠にはまるが、その事を小熊は簡潔に指摘している。
「・・・・このような集団観においては、まず個人があり、それがあつまって集団ができるとはされない。まず、集団があり、そこからの疎外現象として<個人>が析出されるのである。そのため、集団の本流は常に中心のない<みんな>であり、<個人的意見>は常に傍流とされる。」(『単一民族神話の起源』最終章より)
私が常に問題としてきたのは、小熊がいうところの「集団」である。「日本的共同体」や「イエ」などと呼ばれることがある。・・・・」(「すべての男は消耗品である。Vol.6」村上龍著・KKベストセラーズ)
勿論、これにはいい面がたくさんあります。
地震が起きても暴動が起きない秩序正しさは、外国人を驚嘆させるそうですし、
格差社会と言われるようになりましたが、
歴史的に見て日本の貧富の差は、少ない方でしょう。
これは、言うまでもなく日本人が和を尊ぶからですが、
しかし、逆に飛び抜けた能力を持つ人間には生きにくい社会なのではないのでしょうか?
(↑私の事を言っているのではないので、悪しからず。)
日本がここまで経済的に豊かになれたのは、
優秀な大量規格製品を沢山海外に売ったからですが、
そういう仕事に、天才は必要ないようです。
平和で、凡人には幸福な社会がいいのか、
英雄に拍手喝采する社会がいいのか、
皆さまは、どう思われるでしょうか?