フランシス・フォード・コッポラ

フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola)

 
(1939~)
 

 
かつて、大島渚監督は、70年代はF.F..コッポラの時代、80年代はS.スピルバーグの時代と言いましたが、コッポラの70年代の快進撃には、まことに目を見張るものがありました。
まず、脚本を担当した「パットン戦車軍団」(1970年)に始まって、
彼の名を一躍有名にし、今なお名作の誉れ高いゴッドファーザー(1972年)、「カンバセーション...盗聴」(1974年)、続編に名作なしのジンクスを破ったゴッドファーザーPARTⅡ」(1974年)、地獄の黙示録(1979年)。
私が子供のころは、まさに彼は「映画の神様」でした
自身がゴッドファーザーと名乗っていたそうです。
 
 
戦争は、時には「快楽」でもあるんですよね。地獄の黙示録より。ただし、この言葉は猫さんの発言です。)
 
この時代の特にゴッドファーザーの連作に関しては、度々このブログで書いてきましたので、その後のコッポラについて、少し書いてみたいと思います。

伝記によると、彼は躁うつ病なのだそうですが、
1980年代に入ると、その人生は驚くべき暗転を始めます。
おそらくあまりにアメリカの暗部を語りすぎたため、批評はよくても興行的はも一つだった地獄の黙示録から、すべての面において大失敗であった「ワン フロム ザ ハート」(1982年)のおかげで、経済的に窮地に陥り、1980年以降、3度の破産を経験することになります。(Wikiより)
大手映画会社のもとで、作品の内容に干渉されるのを嫌った彼は、
独立した映画作りを目指そうとしましたが、それが裏目に出たようです。
私は、当時日本のスポーツ新聞が面白しろおかしく取り上げた
「コッポラ、また破産!」
という記事を、他人事ながらハラハラしてみていました。
作品的に見ても、80年代に入ってからの映画は、
これがあのゴッドファーザーの監督か?と思わせるような、お粗末なものが多いのですが、その中で、私が唯一気に入っているのが、
1988年の「タッカー」です。

 
興行的にはあまり成功しなかったようですが、隠れたファンが多いらしく、
ブログなどで取り上げられるのをよく見かけます。
あらすじは、(Wikiより)
 
1945年、軍需工場を経営していたプレストン・タッカーは来るべき現代にふさわしい新車の設計、開発を計画していた。計画は家族と友人と共に順調に行っているように思えた。しかし、彼の計画を妨害しようとしているBIG3(フォード・GMクライスラー)が様々な横槍をしたため、タッカーはありもしない車を売ろうとした詐欺事件の容疑者として裁判台に立たされる…
 
というもので、まさに大手映画会社の干渉を嫌ったコッポラならではの企画です。
かつての弟子であったG.ルーカスが、製作総指揮にまわり(アメリカン・グラフティ(1973年)と立場が反転。)
実在した自動車であるタッカー・トーペードは50台しか生産されなかった。映画公開当時は47台が現存しており、撮影にあたっては愛好会の全面協力により現存している実車が総動員されてスクリーンに登場している。(Wiki)
という凝りようで、TV「スパイ大作戦」などでお馴染みのマーティン・ランドーが好演していました。
映画の中で、その後のアメリ自動車産業の凋落を予言的に描く処は、ちょっとでき過ぎの感も否めませんでしたが、あくまで、独立独歩、チャレンジ精神の旺盛なコッポラの人格がよく投影されたいい映画だと私は思います。
 
ご存じとは思いますが、俳優ニコラス・ケイジは甥にあたり、映画監督ソフィア・コッポラは娘で、そのほか身内に芸術家が多いのでも有名です。
 

 
で、その後のコッポラはどうなったか?
 
最近では、カリフォルニア州ナパバレーでニバウム・コッポラ・ワイナリーを経営し、そこで作られる「ルビコン」ワインは世界的評価を受けた。ジョージ・ルーカスのスカイウォーカーランチと提携して「スカイウォーカー」ワインも販売している。コッポラは、このワインビジネスで多大な利益を得、アメリカでも屈指の富豪となった。(Wiki)
 
幸運の女神は、二度彼に微笑んだようです。


 
※追加:G.ルーカルと同様に、黒沢明をたいへん尊敬していました。
ゴッドファーザー」には、黒沢作品「悪い奴ほどよく眠る」の影響があります。