映画「瞳の奥の秘密」

映画「瞳の奥の秘密

 

 
あらすじブエノスアイレスの連邦刑事裁判所を定年退職したベンハミンは、25年前に起きたある悲惨な事件を描いた小説を執筆しようとしている。それは新婚の美しい女性が自宅で暴行殺害された事件で、ベンハミンが同僚のパブロや上司のイレーネとともに、苦労の末に真犯人を逮捕した、という忘れられない記憶だった。事件は解決したかに見えたのに、その後不可解な経緯をたどっていた。事件の真相を暴いていくと、同時にもう一つの真実が明らかになっていく…。
 
このブログを読んでくれる方に、
コアな映画ファンが増えたからというわけではないですが、
ちょっと通好みのアメリカ・アカデミー外国語映画賞を受賞した
アルゼンチン映画を鑑賞してみました。
アルゼンチンといえば、かつて第二次世界大戦前までは先進国であったこと、
女性の政治家エビータを生んだことぐらいしか知りませんが、
この初めて見るアルゼンチン映画
俳優の演技や脚本、金がかかってそうなサッカー場でのモブシーンなど、
大変レベルが高いものでした。
ただ、恋愛ものが苦手な猫さん 
は、やはりも一つのめり込めなかったです。
 
一つの殺人事件を軸に、二つの深い恋愛劇を語る手腕は見事でした。
ある意味衝撃的なラストシーンには、
恋愛というものの深さを感じさせるのに十分です。
けれども、何かそこに私は「聖母崇拝」のようなものを感じ抵抗してしまいました。
私が今読書中で、
難しくてなかなか先に進まない「父親とは何か」佐々木孝次著 講談社現代新書の中に、次のような一節があります。
 
パーソンズは、西欧の社会の父親のシンボルの原型であるユダヤキリスト教唯一神について述べるくだりで、その際立った特徴は、伝統的に、母親のシンボルになりうる女神の存在はあまりに低く抑えられ、無視されていることだ、といっている。ローマ・カトリックにおけるマリアはただ一つの例外といっていいが、こういう感想は、西欧の社会学者や心理学者の多くが、異口同音にもらしている。
(前掲書P144 赤字は猫さん)
 

 
 
こじつけになるのかもしれませんが、
アルゼンチンは国民の90%がカトリック信者で、
私たちの価値観からすれば100%の聖人とは思えないエビータのような人物が
庶民の間ではサンタ・エビータ(聖エビータ)と呼ばれる事もあるというようなことから推察するに、母性崇拝・マリア崇拝が強い国なのかもしれません。
殺されてしまう新婚の女性は、
美しく何の穢れもない純粋無垢な人間として描かれますし、
主人公が密かに思いを寄せる女性の上司も極めて母性的に振る舞います。
従って、「母性社会」である日本の観客の評判はすこぶるよろしい。
ただ、そこにある「恋愛」は、
男女が同じ座標軸の上にある対等のパートナーとしてものとは、
またちょっと種類が違うように私には思われました。
恋愛に疎い私がこんなことを書くのもなんですが、(笑)
これが私の正直な感想でした。
皆さんはどう思われるでしょうか?