「生き物の記録」

「生き物の記録」

(1955年)

■スタッフ
監督 : 黒澤明
製作 : 本木荘二郎
脚本 : 橋本忍 / 小国英雄 / 黒澤明
撮影 : 中井朝一
音楽 : 早坂文雄
■キャスト
三船敏郎(中島喜一)
志村喬(原田)
千秋実(中島二郎)
田豊(中島一郎)
根岸明美(栗林朝子)
千石規子(中島君江)
田吉二郎(朝子の父)
 
あらすじ
歯科医の原田は家庭裁判所の調停委員をやっている。彼はある日変わった事件を担当した。鋳物工場を経営している中島喜一は核兵器の脅威から逃れるためと称してブラジルに移住を計画し、そのために全財産を投げ打とうとしていた。喜一の家族は彼を準禁治産者とする申し立てを提出した。喜一の言葉を聞いた原田は心を動かされるが、結局は申し立てを認めるしかなかった。計画を阻まれた喜一は倒れる。夜半に意識を回復した喜一は工場に放火した。精神病院に収容された喜一を原田が見舞いに行くと、喜一は明るい顔をしていた。彼は地球を脱出して別の惑星に来たと思っていたのだった。病室の窓から太陽を見て彼は原田に「地球が燃えとる」と叫んだ。(Wikiより)
 
こんな時期に、こんな映画の感想を書くのもあれなんですが、
この映画を観ていると
例の原発事故が起きて以来、
私が複数のブロ友さんと喧嘩してしまったことを連想せざるを得ませんでした。
はたして、どちらが正しいのか
 
この映画が作られたのは昭和30年ですから、
広島、長崎に原子爆弾が落とされて10年しかたっていません。
アメリカとソ連の冷戦構造の中で、
いつ核戦争が起きても仕方がないと思われていた時代だったそうです。
大江健三郎の親友が、後のキューバ危機(1962年)の時に、
全面核戦争の恐怖に耐えかねて自殺したそうですが、
幸せなことにそういう事態は起きませんでした。
なんだかんだと騒がれながら、
「まあ、自分は大丈夫だろう。」とのんきに構えている人と、
この映画の主人公のように、放射能の恐怖に怯える人と、
どちらが精神的に健康なのかは議論の分かれるところでしょうね。
この映画においても精神科医はこう言います。
 
「私はね・・・この患者を診るたびに、ひどく憂鬱になって困るんですよ・・・
こんなことは初めてです・・・
狂人というのは、そりゃみんな憂鬱な存在には違いありませんが・・・
なんだか・・・その・・・正気でいるつもりの自分が妙に不安になるんです・・・
狂っているのは、あの患者なのか・・・
こんなご時世に正気でいられるわれわれがおかしいのか。」
 
のちの「夢」(1990年)「八月の狂詩曲」(1991年)においても、
核エネルギーの恐怖を訴え続けた黒澤氏を、
私は「核ノイローゼ」と決めつけていました。
今回の原発事故を黒澤氏が知ったなら、「それ、見たことか!」と言うでしょう。
原発事故が、これからどのように推移するのは私にはわかりかねますが、
今なお
ブログに連日のように放射能の恐怖を
記事にされる方々がたくさんおられます。
将来、地獄の閻魔様はどう裁かれるのでしょうか?
 

 
三船敏郎の老け役は素晴らしく、
演技も決して大袈裟ではありませんでした。
そして、今ではもうほとんど消滅してしまった戦前から続く大家族の描写が、
一人っ子の私には、なぜか羨ましく感じられました。
いい映画だとは思うのですが、
七人の侍(1954年)の大ヒットの後にもかかわらず、
この映画は記録的な不入りだったそうです。
まあ、そうでしょうね。
大抵の人々にとっては、映画というものは「現実逃避」の娯楽に過ぎない。
休日にこんな映画を見せられると、気が滅入りますよ。(笑)