原発事故に関する一連のブログ記事への感想

原発事故に関する一連のブログ記事への感想

今回の大震災と、その影響による原発事故を巡る複数のブロガーさんの意見と、
それに対する私の反論(?)のせいで、
私は、多くのブロ友さんを失いました。
 
以前にも書きましたが、
原子力発電所から白い煙が出ているのを見て、
「これはやばいな。」とは、小学生でも感じる事でしょう。
日本の権力者が、自分たちの失敗を隠したがる体質は、
戦前の軍部の「大本営発表」、山一證券の「飛ばし」、
薬害エイズを例にとるまでもなく、
私も十分承知の上です。
放射能の恐ろしさは、私の少ない見聞の範囲内でも、
十分知っているつもりです。
しかし、1日2回も3回も
政府や電力会社を批判する記事を掲載するブロガーさん達を見るにつけ、
そこに私は何か異常なものを感じざるをえなかったのであります。
しかし、うまくそれを表現できないので、
例によって人様の文章を引用させてもらいます。
下記の文章は、福田恒存という碩学が、
アメリカでケネディ暗殺が起きた時に書かれたものです。
随分古いものですが、
ここに指摘されている心理は現代でも通用するものだと思います。
アメリカ」を「日本政府」もしくは「東京電力」、
「暗殺」「汚職」を「原発事故」と読み替えていただいたら、
私の趣旨がわかってもらえるのでは?と思います。
(「劣等感」という言葉が、
ブロガーさんたちに当てはまるかどうかはわかりませんが、ね。)
 
人は絶えず人目を気にしているからこそ劣等感に捉われるのである。その意味では、強者に卑屈であるよりは、それに盾突く事によつてそれは更に醜く露出する。暗殺や黒人問題をアメリカの「恥部」と恥ずかしげも無く決め付ける時、今まで文句を附けたくても附けられなかった劣等感の復讐をそこに見る。暗殺に対する感想というが、初めに書いたように、それは悪いに決まっていて、弁護の余地は全くない、さういふものが沢山ある。同様に、良いものと無条件に決まつて、これだけは絶対に悪口を言ってはならぬタブーも沢山ある。
 強者や権力者ばかりでなく、このタブーに対しても人々は日頃から劣等感を懐き続けているが、それだけに、暗殺の様に悪いと決まつていて弁護の余地の全く無いものに対しては、禿鷹の様に襲い掛かる、これも人目ばかり気にしている劣等感が裏返しに露出したものである。暫く前、汚職で起訴された関谷弁護士が病院から運び出されるのをテレビニュースで見た事があるが、群衆はその担架に襲い掛からんばかりにして悪態の限りを尽くしていた。中年の女性もいたし、若い人達も多かった。それを見て私は暗い気持ちになつた。汚職もまた悪いと決まっている事だ、感想や批評を求められても返答に窮する。が、これだけは幾ら悪口を言っても何処からも文句が出ないと承知して居丈高になるといふのは、やはりタブーに卑屈な弱者の劣等感が裏返しに出たものとしか思われなかつた。もしそれを公憤や正義感の発露と自他共に思ひ做すとすれば、偽善もここに極まれりと言ふ外は無い。
そういう劣等感の働きが反対の方向に向かふと、弱者や小国への同情となつて現れるが、それが口先だけのお為ごかしであり、優越感の裏返しに過ぎぬ場合がしばしばある。朝鮮人の中の心ある人なら、そういふ日本人の心理を感じ取つていると思ふ」。。。
(「日本を思ふ」福田恒存著より)
 
↑強調表現は猫さんがしました。あしからず。