漫画「自虐の詩」を鑑賞する

漫画「自虐の詩」を鑑賞する

何で私が、「石原軍団」が嫌いかと言って、
お兄さんの石原慎太郎の事が大嫌いなこともありますが、
お酒の飲みすぎで病魔に倒れた裕次郎を献身的に看護した奥さん(まき子さん)を、
大の男の国民的スターが(即ち裕次郎自身が)
「ママ」と呼んでいたという話ぐらい、
気持ちの悪~い

事はないのであります。
男性が自分の配偶者を「ママ」と呼ぶなんて、
欧米なら、即精神科での治療を求められることでしょう。
 
(このことは再三このブログで書いていますが、)
いくら兄石原慎太郎「父性の復権!」「父性の復権!」と叫んでみたところで、
河合隼雄が指摘するように、
日本人の言う「父性」とは、
群れないと何もできない、
「グレートマザー」の家来「スパルタ」に過ぎない。
何の戦略も持たずに戦争に突入していった
旧日本帝国の軍人のもつ「強さ」でしかない。
戸塚ヨットスクール」の熱烈な支持者であることが如実に物語っております。)
だから、表面上は大変威張っているが、
陰で奥さんに母親のように甘えて、
「ママ」に依存して生きている。
日本において、女性差別があるとしたら、
西洋とは全く正反対に、
「女性がいつまでも母親であり続けなければならない」という事でしょう。
 
※余談になりますが、村上春樹の小説に女性のファンが多いのは、
家事も料理もこなせる「自立した」男性がよく出てくるからじゃないのでしょうか



という訳で、前置きは長くなりましたが、
この漫画の主人公幸江さんも、
お父さんからも、内縁の夫からも、
「母親」扱いされてしまいます。
幸江の実のお母さんは、生活力のない夫にとうの昔に愛想を尽かして、
逃げてしまった。
酒浸りのお父さんと暮らしていくために、
幸江は小学生のころから働きます。
それでも、学校の給食費も満足に払えません。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子供の時から父親に「母親」の役割をさせられたのなら、
幸福な恋愛関係でそれを補えばいいのでしょうが、
そうは問屋が卸さない。
フロイドが指摘するように、
「個人は過去の親子関係を、強迫的に反復する。」のであります。
で、大人になると、
機嫌が悪くなるとちゃぶ台をひっくり返す、
仕事をしない元ヤクザと一緒に暮らします。
それでも、イサオ(情夫)を一途に愛し尽くす幸江
 


 
 
 
人の不幸や貧乏を笑いものにしてはいけないのですが、
この漫画の前半部分を占める幸江さんの苦労話には、
決して優越感の表れでないユーモアがあります。
誰もが、幸江さんを愛してしまうでしょう。
フェミニストは激怒するやもしれませんが
。)
ちょっと、心理学や精神医学の本をかじった事のある人間なら、
この幸江イサオ(情夫)との関係が、
共依存と呼ばれるものであることに気付くはずです。
決して健康的な関係だとは言えないと思うんですが、
そこに決して合理的には行動できない、
人間の「弱さ」「優しさ」が垣間見れて、
苦労している幸江さんには申し訳ないのですが、
私は、ほのぼのとした気持ちになるのでありました。
 
ところが、後半ストーリーがドラマチックに展開しだすと、
どうもいただけません。
幸江の中学校時代のエピソード、
お父さんの銀行強盗、
荒れた青春時代、
イサオと出会った経緯、
(なぜか急にイサオが二枚目に変身してしまいます。)
そして、幸江の妊娠。。。
最後にはなぜかしら安っぽい「母性賛歌」のお話になってしました。
このあたりの件で、この漫画に感動する人が多いようですが、
私には、この漫画の蛇足のような気がいたしました。
4コマ漫画で説教するのは如何なものか
 
とは言っても、この漫画に出てくるキャラクターはどれも愛すべきものが多いので、
私には珍しく、映画化された作品を観てみることにいたします。
面白ければ、感想は後程。


つづいて、通勤電車の暇つぶしに、
おじゃま犬さん推薦の「聖✰おにいさん」を買ってみました。
(勿論、電子書籍で!)
これまた、非常にアブナイ内容ですね。