吾輩は 畸人である

吾輩は 畸人である


 
 
伊藤若冲作(プライス・コレクションの「紫陽花双鶏図」)
 
ながく私のブロ友さんをしていただいている方なら、
先刻ご承知の事とは思いますが、
私は、一風変わった人間です。
自分でも十分それは承知しているんですが、
それを、ネガティブな風に私は捉えたくない。
何度も書くことですが、
戦後の大量規格製品を作って海外に輸出して金儲けしていた時代には、、
「人と違う」という事は、大変いけないことだとされてきました。
欧米から輸入された「平等」という思想が、
「みんなと一緒」と言う意味に変わってしまった。
戦後の民主主義が、悪平等を生んだのです。
学校でもいじめを受ける子供たちは、
善しに付け悪きに付け「人と違う」子供たちのようですね。
でも、それまでの日本の歴史を振り返ってみれば、
結構、社会の異端者に寛容なところがありました。
映画男はつらいよが長い間支持され続けてきたのも、
そういう時代への郷愁じゃなかったのでしょうか?
 
江戸時代には、「奇人」(「畸人」とも書きます。)と言う人たちがいました。
性質や言動が常人と異なっている人、変人のことをいうそうです。
葛飾北斎とか、平賀源内とか、佐久間象山とか。
本棚をひっくり返して調べるのが面倒なので、
うろ覚えの記憶で書くので申し訳ないのですが、
アメリカの日本文化研究家の方で、
この畸人を高く評価されていた方がいらっしゃいました。
まず、彼らは何よりもまず、体制(幕府)からindependentであった。
侍のように「イエスマン」ではなかった。
彼等の「独立精神」が日本の近代の幕開けとなった、と。
これまたアメリカに熱心なコレクターがいて、
それが逆輸入される形で最近脚光を浴びた江戸時代の画家に、
伊藤若冲(1716~1800)がいます。
私はそれほど深く知っているわけではないんですが、
ネットでその略歴を引用すると
 
若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。商人時代、若冲は家業を放棄して2年間丹波の山奥に隠棲してしまい、その間、山師が枡源の資産を狙って暗躍し、青物売り3千人が迷惑したという逸話が残る。
 
この方もまさに畸人です。
何故か、この人物に大変親近感が湧く私です。
勿論、私はこんな世捨て人ではありませんが、
自分の事を「ヲタク」と呼ぶには抵抗がある。
畸人」!
これって、格好いい言い方だな~
これからは、これを使おう!

※考えてみれば、わがブロ友さんも結構「 畸人」が多いみたい。
類は友を呼ぶ。。。