ミネルヴァのふくろうは黄昏とともに旅立つ

ミネルヴァのふくろうは黄昏とともに旅立つ


 
 
 
映画を観る元気はないのですが、
理屈をこねる元気はあるので、(笑)
常日頃から疑問に感じている事(前にも何度も書いている)を、
改めて書きたいと思います。
私がフェミニズムが大嫌いなのは周知の事と思われますが、
特に嫌なのは「女は戦争を望まない」などとのたまう方、
(失礼ながらブロ友さんにもおられます)
歴史的事実を歪曲される方です。
それに関しては「国防婦人会」の研究をされるとすぐにわかると、
これも前に書きました。
同様に、古今隆盛を極めるヒトラーばかり悪者にする映画を、
われわれ日本人が何の反省もなしに絶賛するのにも抵抗を感じてしまいます。
私の好きな心理学者岸田秀が、
このあたりの心理を的確に表現した文章を再読しましたので、
引用したいと思います。
(勿論、ドイツと日本が枢軸国側だったことはご存じでしょう。)
 
 戦争中、この戦争(←第二次世界大戦 猫さん)に対してまったく何の疑いも反感も感じていなかった人は少ないであろう。軍部の横暴にいやな思いをしたかもしれないし、家族や友人の戦死、窮乏生活など、国民が戦争を嫌になる理由はたくさんあった。しかし他方では、懸命に戦争のために協力していたのである。玉砕に散った兵士たちを、特攻隊の勇ましさを賛美していたのである。ところが敗戦後、戦争中の自分をふり返ったとき、戦争に協力していたほうの自分は忘れてしまい、戦争を嫌だと思っていた自分だけを思い出し、その面を無限に拡大し、その自分こそ「本当の自分」で、それが軍部のために弾圧されていたと考えたわけである。このような自己欺瞞が可能なら、どれほど熱心な戦争協力者でも、心のすみのどこかにには戦争を嫌がる気分は少しはあっただろうから、自分はもともと平和を望んでいたと思う事が出来る。
 この自己欺瞞が国民に広く共有されていることを証明しているのが、NHKの連続テレビドラマである。NHKは戦前、戦中、戦後にわたって展開するある主人公またはある家族の物語を何種類も幾度となく放映しているが、戦争中の場面での登場人物のほとんどは、判で押したように戦争に反対だったり、あるいは少なくとも疑問を感じていたり嫌がったりする平和主義者である。このような人たちばかりでよくぞ戦争が遂行できたものだと不思議である。たまに熱心な戦争協力者が出てくると、それは軍の威光を笠に着て威張り散らし、皆に嫌われてる人物である。しかし、このような大嘘の物語をみんなは白けもせず、笑い物にもせず、おおまじめにみているのである。(岸田秀著「屈辱否認の日本近代」より)
 
 
この文章で、NHKの(朝の)連続テレビドラマを岸田秀は批判していますが、
同様な理由で子供の頃は夢中だったNHK大河ドラマを、
私は観なくなりました。
その時代に生きていた人の視点で、物語が語られていないからです。
もし、明治維新が失敗して江戸幕府が残っていたら、
坂本龍馬国賊なんですよね。
当時はそう思っていた人が、大多数だったのではないのでしょうか?
 
話は飛躍いたしますが、
これまた同様の理由で、
今回の不幸な地震の影響からくる原発事故を、
鬼の首を取ったように批判する人達を、
私は嫌悪するのでありました。
 
以上