私恨

私恨


 
 
何も、親戚の自慢話をする気は毛頭ありません。
むしろ、悪口を書いて長年の溜飲をここで下げたい

私の母親の家系の人々は、代々学者になることが多く、
所謂その世界での「有名人」も結構おります。
例えば私の義理の叔父はこの方
で、
大学の学長にまでなったエライ人であります。
この方と私は以前に大喧嘩をしたことがあります。
もう何度も書きましたが、私の母は生まれついての重い精神の病気で、
本人は大変苦しんでおりましたが、
親兄弟たちは、
そういう人間がいると親戚の出世に支障をきたすとのことで、
病院にも連れて行かず、家族ぐるみで隠しておりました。
私は母が不憫で、母親の親兄弟に喧嘩を売ったのであります。
で、その時に「エライ人々」が私たち親子に向けた軽蔑、差別意識には、
想像を絶するものがありました。
悲しくなるので、具体的な言動、会話はここでは書きません。
でも、その時につくづく感じたのは、
「如何に、日本人に建前と本音の乖離が激しいか?」という事です。
この私の叔父さんも、大学ではきっと立派なことを教えているんでしょう。
「人権を大事にしよう。」だとか何だか。
でも、それって、自分の利益に関係のない「建前」に過ぎないんですよ。
わが身に係わる事になると、
大昔から変わらない露骨な差別意識をむき出しにします。
リベラルな思想家たちが、
第二次世界大戦中に急に「大東亜戦争礼賛」に靡いた事情と同じことです。
 
私がこのブログで、誰も読んでくれないにもかかわらず、
「タテマエとホンネ」と言う書庫を作ったのは、それなりの意味があるのです。
私の書庫から再び取り上げてみましょう。
「こうした一連の出来事は、日本人におなじみの人生訓にあてはまる。タテマエとホンネ―大ざっぱに言えば、「ひとまず世間体を考えてものを言い、それから陰で好きなことをしろ」というような意味だ。もちろん、どこの国民であろうと、人間の性格には往々にして二面性がある。しかし、日本人ほど行動が矛盾に満ち、それを隠そうともしない国民はほかにない。表向きの「和」を何より大切にする国だからだ。」
    (「東京アンダーワールド」(松井みどり=訳)角川書店、2000年)
 
「日本語で建て前と本音と言うときに、それは誠実とか誠意に関係がなく、自分の利益を隠すか隠さないかの違いでしかない、という指摘をしたのは片岡義男だった。
 本音で接するというのは相手に誠実に接するという意味ではなく、自分の利益となることを正直に伝えるということだ。したがって、本音には必ず甘えが含まれているし、本音の中には差別意識などが隠されていることが多い。」
(「すべての男は消耗品である。vol.6 」KKベストセラーズ 2001年)

暗殺された疑いがつよい伊丹十三さんのような例外もあります。
しかし、ほとんどの日本の知識人は偽物です
彼らが、マスコミなどで発言する立派な言葉は「建前」に過ぎない。
だれも、自分の思想に命などかけておりません。
これから、日本の社会はますますひどくなる可能性がありますが、
皆さん、くれぐれも「リベラル」な思想家の言葉には耳を傾けないように。
「裏切られた!」と言う悲しい思いをしないようにしてください。
 
※敢えて、「ファン限定」にしないで、この記事を書きました。