試行錯誤の大事さ

試行錯誤の大事さ


 
 
 
今日は仕事もお休みで、天気が良くて、
どこかに出かければいいのでしょうけれど、
はもう終わったみたいだし、桜 
はまだ早いし、
そしてまたPCがクラッシュしてしまって、
一日PCを弄って過ごすことになりそうです。
PCが潰れたのに、何故ブログが更新できるかといえば、
もちろんセレブ猫さん 
には、セカンドパソコンがあるからです。
(補助エンジンが付いているターミネーターみたいでしょ?)

ところで、私はよくPCを潰します。
何故かといえば、
(操作が下手なのもあるでしょうけれど、)
とりあえず、目新しいものは試してみようという姿勢で臨んでいるからです。
新しいツールがあると挑戦してみる。
で、よく取り返しのつかない事態になってしまう。(笑)
今回PCを潰して、初期化までしないといけない事態になったのも、
ちょっとわけのわからない怪しげなソフト(アダルト系ではありません。)を、
ダウンロードしてしまったからであります。
わたしのPCはいろいろとカスタマズされているので、
初期化すると元の状態に戻すのに非常にめんどくさい。
下手をすれば一日、PCの前に座っている事態となってしまいます。
でも、これが年を取って怪しくなってきた頭脳に大変刺激を与えるのであります。
早い話が、潰すことによって勉強になるんです。
もし、人間が病気にならなかったら、
医学は発展していなかっただろうというのと同じ理屈。
人間でも、大人になって出世したり、大宗教家と呼ばれるようになる人は、
若い頃、手の付けられないワルだった例が多いと聞きます。
確か、孔子の弟子にもそういう方がおられましたよね。
アインシュタインも、自分の理論を完成させるのに、
ずいぶん試行錯誤があったそうです。

ここでかなり話が飛躍いたしますが、
日本の教育の一番の欠点は、失敗を許さないことにあると私は思うんです。
なんでも減点主義で追い込めて、完成品ばかり求める。
すでに答えの決まっている教科書通りの考え方を
オウム返しに答えられる人が優秀とされる。
でも、それはこの国が、かつては中国朝鮮、そして、西欧アメリと、
真似できる先進国があったからです。
自分の頭で考える必要がなかった。
皆さん、
第二次世界大戦の失敗に懲りて「戦争はもう嫌だ。」と口を揃えて仰いますが、
あの時代の国民が、軍人に国の命運を託したのも、
彼らが極めて優秀なエリートだったからなんですよ。
陸軍大学は、東京帝国大学より難関で、若者たちの憬れの的だったんです。
でも、彼らは試験勉強では優秀でも、
実際に戦局を判断する能力に著しく欠けていた。
こういった問題は、今日の霞が関のエリート官僚にも通じる問題でしょう。
試行錯誤した経験がないと、イレギュラーな事態が起きても対応できません。
(教科書には載っていませんからね。)
その癖、プライドだけは高いので、始末に負えない連中です。。。

って、結局老化現象の言い訳してるのかなあ。
 
 

※追記:「前例がない」ということに、極端なアレルギー
を示す例として、野茂英雄
日本の野球の一流選手としては初めてアメリカ・メジャーリーグに挑戦しようとしたときの、日本のマスコミの叩きっぷり(?)がありますよね。
利権も絡んだんでしょうけれど、未知のジャンルに挑戦しようとする人間を皆でバッシングいたしました。それが、メジャーで成功を収めると、手のひらを返したように称賛に変わった。
日本の大学から独創的な研究が生まれないのも、こういった風土と関係があるんでしょう。