今頃、映画「イージーライダー」を鑑賞する!
今頃、映画「イージーライダー」を鑑賞する!
1969年アメリカ
私は、以前よりフランス
のヌーベル・バーグだとか、
アメリカンニューシネマ
(英語ではNew Hollywoodというらしい。)が苦手で、
ゴダールの映画なんか観たことありません。
「インテリが理屈で作った映画はだめだ。」とは淀川長治さんの弁ですが、
どうも、この手の映画は「小難しい」「理屈っぽい」というイメージが先行して、
観るのを躊躇してきました。
(だから、大島渚も観ていない。)
と言っても、Wikiに載っていたアメリカンニューシネマのリストを見ていると、
観ているのもあるし、好きなのもある。
のヌーベル・バーグだとか、
アメリカンニューシネマ
(英語ではNew Hollywoodというらしい。)が苦手で、
ゴダールの映画なんか観たことありません。
「インテリが理屈で作った映画はだめだ。」とは淀川長治さんの弁ですが、
どうも、この手の映画は「小難しい」「理屈っぽい」というイメージが先行して、
観るのを躊躇してきました。
(だから、大島渚も観ていない。)
と言っても、Wikiに載っていたアメリカンニューシネマのリストを見ていると、
観ているのもあるし、好きなのもある。
あらすじは、wikiより丸写しいたします。
メキシコからロサンゼルスへのコカインの密輸で大金を得たワイアット(キャプテン・アメリカ)とビリーは、金をフルカスタムされたハーレー・ダビッドソンのタンク内に隠し、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)の行われるニューオリンズ目指して旅に出る。
農夫の家でランチをご馳走になったり、ヒッチハイクをしていたヒッピーを拾って彼らのコミューンへ立ち寄ったりと気ままな旅を続ける2人。しかし旅の途中、無許可で祭りのパレードに参加したことを咎められ留置場に入れられる。そこで二人は弁護士ハンセンと出会い、意気投合する。
そして、ハンセンの口利きで釈放された2人は、ハンセンと共にニューオリンズに向けての旅を続ける。しかし、「自由」を体現する彼らは行く先々で沿道の人々の思わぬ拒絶に遭い、ついには殺伐としたアメリカの現実に直面する。
農夫の家でランチをご馳走になったり、ヒッチハイクをしていたヒッピーを拾って彼らのコミューンへ立ち寄ったりと気ままな旅を続ける2人。しかし旅の途中、無許可で祭りのパレードに参加したことを咎められ留置場に入れられる。そこで二人は弁護士ハンセンと出会い、意気投合する。
そして、ハンセンの口利きで釈放された2人は、ハンセンと共にニューオリンズに向けての旅を続ける。しかし、「自由」を体現する彼らは行く先々で沿道の人々の思わぬ拒絶に遭い、ついには殺伐としたアメリカの現実に直面する。
デニス・ホッパーが、この映画の監督していたなんて知らなかったです。
映像表現は極めて斬新で、当時としては革新的だったんでしょう。
この映画のプロデュースをしているピーター・フォンダが、
お姉さん(ジェーン・フォンダ)とともに反体制的な映画ばかりに関係するのは、
「理想的なアメリカの父」を演じた父親ヘンリー・フォンダが、
実生活では奥さん(つまりジェーン、ピーターの母親)を
自殺に追い込むまでの女たらしであったことへの反感からであることは、
よく知られています。
それにしても、この映画に出てくる当時隆盛を極めたヒッピー文化は、
今観てみると少しだらしがなさすぎるように私には思えました。
なんでも、アメリカの真似をする戦後日本文化
ですが、
ヒッピーだけは輸入しなかったのはよかった。
映像表現は極めて斬新で、当時としては革新的だったんでしょう。
この映画のプロデュースをしているピーター・フォンダが、
お姉さん(ジェーン・フォンダ)とともに反体制的な映画ばかりに関係するのは、
「理想的なアメリカの父」を演じた父親ヘンリー・フォンダが、
実生活では奥さん(つまりジェーン、ピーターの母親)を
自殺に追い込むまでの女たらしであったことへの反感からであることは、
よく知られています。
それにしても、この映画に出てくる当時隆盛を極めたヒッピー文化は、
今観てみると少しだらしがなさすぎるように私には思えました。
なんでも、アメリカの真似をする戦後日本文化
ですが、
ヒッピーだけは輸入しなかったのはよかった。
「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。
個人の自由についてはいくらでもしゃべるが、
自由な奴を見るのは怖いんだ・・・」
※音楽も素晴らしいらしいですけれど、
その方面には疎いので、詳しい人に解説してもらいたいです。
その方面には疎いので、詳しい人に解説してもらいたいです。