「いじめ」について
「いじめ」について
映画「リアル・スティール」を観たので、
その感想文を書こうかと迷っていたんですが、
今また、問題になっている、
一向に解決しそうにない学校における「いじめ」について、
少し書いてみたいと思います。
今回の可哀想な少年の自殺事件について、
(この事件についてはよく知らないんですが)
時々いろいろな人の意見を読むことがあります。
その中で、私が非常に気になったのは、
相変わらず「いじめ」=「弱い者いじめ」ととらえる方が多いという事です。
子供の時から
いじめを受けやすい性格であることは想像に難くない私(笑)から言わせれば、
それは違うと思う。
学校で壮絶ないじめを受けたことが端的に示すように、
「いじめ」の背後に「妬み」の心理が作用している事を、
あまり多くの人は語りたがらない。
これは、第二次世界大戦後、
「平等」という事が国是となって、
「妬み」について語ることがタブーになってしまったからだという事を最初に指摘したのは、
ヨーロッパに端を発する「平等」という思想が、
この小さな島国のムラ社会の
「皆が一緒」という考え方にすり替わって、
いい意味でも、悪い意味でも、
平均から逸脱した人間には、
非常に住みにくい社会になってしまった。
日本的な意味合いにおいて極めて「平等」な組織であった
第二次世界大戦前の軍隊組織において、
「いじめ」が日常茶飯事であったことは周知のことで、
上官の命令による手榴弾の投げ過ぎで肩を潰された事も、
(↑高給を取るプロ野球選手にたいする妬み)
知る人ぞ知る話であります。
「平等」=「皆が一緒」という事が強調されればされるほど、
他人との少しの差にも敏感になって、「嫉妬」の感情が起きやすい。
私たちは、人を「尊敬」することがし難くなってきた。
(人間は決して平等ではないのは、皆が知っているんだけれど、
それを覆い隠そうとする。)
こういう社会の在り方が、
一向に減らない「いじめ」の根底にあると私は思うんですけれど、
※追記:今回の事件が、この記事の内容に当てはまるとは必ずしも言えないと思います。時流を追いかけるのが苦手な私は、この事件をよく知りません。