日本人に心理分析はできない

日本人に心理分析はできない


 
 
 
長く私のブログにお付き合いいただいている方は、
お気づきの事と思いますが、
私には神経症的傾向があります。
で、こういう言い方は失礼かもわかりませんが、
類は友を呼ぶと申しまして、
ブロ友さんにも神経症で悩まれている方が複数いらっしゃいます。
そして、もしかしたらこの病気に悩んでいる方がネットサーフィンをして、
私のブログに行きつくやも知れません。
で、もしそういう方々が、
医療機関カウンセリングを受けたいと思っていらっしゃるならば、
私の今までの経験が何か役に立つやもしれませんので、
ここに書いておきます。
結論から申します。
 
日本人に心理分析はできない。
 
これは、私が2度に亘って高いお金を払ってカウンセリング心理療法)を受けて、
嫌な思いをして(相手に嫌な思いをさせて)得た結論です。
2人のカウンセラーとも喧嘩別れしてしまいました。
何故って、全然心理分析になっていなかったからです。
「これって、心理分析だろうか
と言う疑問を抱いて
心理学関係の本を読み漁って、
ズバリの回答を見つけました。
私の気持ちを代弁していると思うので、以下引用いたします。
 
 
佐々木 分析と言うものは、元来、自分の快不快と関係なく、三人称からの命令としてなし遂げられねばならぬ作業なんですね。ところが、日本の精神療法の場合、全部快・不快なんです。療法家の方も含めて快・不快なんです。ということは、療法家のほうの心も大変傷つきやすいんですよ。「馬鹿にされた」とかね(笑)療法家自体が、社会の垂直的な関係と、自分が生まれてきてからの「汝の汝」という二人称関係を引きずっていますから。そのこと自体に目を向けない以上、その事態はかわらないですね。
伊丹 療法家の二人称性、療法家の空想というのが大変問題なんですね。
佐々木 いまのところ、日本では、療法家の空想の方がよほど問題でしょう。日本の精神療法の問題はただ一つ。療法家の空想に目を向けること。僕は次第にそう思うようになってきたんですねえ。アノ、患者さんっいうのを往々にして見ていないんですよ。自分の空想の餌食にしています。
(「自分たちよ!」伊丹十三著より 赤線猫さん)
 
 
私が、カウンセリングで嫌な思いをし、
カウンセラーに嫌な思いをさせてた経緯は、
話し出すと大変長くなるので、また後日ゆっくり語るとして、
いい加減な心理カウンセラーが幅を利かせていることは確かです。
むやみに、高いお金を出してカウンセリングなんて受けない方がいい。
それよりも、私の経験から言えば、
大学の心理学部なんか出てないような、
どちらかと言えば下っ端のケースワーカーみたいな人の方が優秀な人が多い。
変に、海外から入ってきた理屈に拘束されずに、
実体験から、素晴らしい知恵をたくさんお持ちの方が多いです。
(特に、この分野では女性 
の方が優れているような気が致します。)
 
最後にもう一度書かせてもらいます。
 
日本人に心理分析はできない。
心理カウンセラーを信用するな!