映画「雨月物語」を二度鑑賞する!

映画「雨月物語」を二度鑑賞する!

(1953年 日本)
 

 
 
これからエラソーなことを書きますが、
実は、溝口健二の映画はこれしか見たことがありません。
それと、原作の上田秋成雨月物語も読んでいない。
だから、テキトーなことを書きますので、
間違いがあったら博学なブロ友さんに教えを乞うしかありません。
ただ、どういう訳だか溝口健二の伝記的な部分に昔から興味があって、
弟子の新藤兼人が作った
「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」1975年)と言う映画も、
岩波新書の伝記本も目を通しております。
これらの資料は弟子が作ったというだけあって、
かなり贔屓の引き倒しがあるみたいで、
実像は、かなり屈折した「嫌な野郎」だったみたいですね。
(私みたい。。。
しかし、「女性が描けない」黒澤明と対照的に、
女性を主役にした名作が多いと聞きます。
これは、貧しさゆえに芸子に身を落とさなければならなかった
実姉への思慕が投影されているとはよく言われる話です。
この映画でも、夫の出世の犠牲になる妻が出てまいりますが、
こういうのって、「姉への後ろめたさ」から来ているんでしょうかね?
因みに、彼の妻は発狂してしまいました。
その他、溝口健二には、女性にまつわるエピソードがごまんとあります。
いまなら、週刊誌が放っておかない逸材でしょう(笑)

話は前後いたしますが、
この映画のあらすじはmimiさんの記事を参照してください。
よくまとめておられると思います。
私が初めてこの映画を観たのは少年時代で、
男女の心の綾 
など判らない子供が、
一生懸命に背伸びして観てみたので、
ただ映像が美しかったという記憶しか残っておりませんでした。
で、今回見直してみたのですが、
まず第一に感じたことは
「昔の映画は、お金をかけているな~」と言う事です。
何気ないシーンにも、隅々まで配慮が行き届いている。
この時代の映画監督の、セットや時代考証にかけた手間暇には、
いろいろな伝説が残っておりますが、
やはりいい映画を作ろうと思えば、お金に糸目をつけないといけないんでしょうね。
今日の邦画がつまらないのは、
まずもって、映画産業の衰退による資金不足が原因でしょう。
そして、お金の儲からないところには、優秀な人材は集まりにくい。

 


 
 
「女性を描くのがうまい」
というのは評判通りで、
京マチ子演じる若狭女性の魔性を、
田中絹代演じる宮木女性の持つ優しさ(母性)を、
巧みに描いていると私には思えました。
中でも、京マチ子の妖艶さは特筆もので、
きっと外国人をも魅了したに違いありません。
これだけ魅力的な女性が出てくるのなら、
溝口の作品をもっと観てみたい気持ちにかられます。
 
それと、音楽が素晴らしい。
日本の古典的映画の欠点は音楽の酷さにあると私は思っているのですが、
小津安二郎が特に酷いと思う。)
この映画に関して言えば、
日本の伝統音楽を巧みに生かして、
おどろおどろしい雰囲気がうまく出ていました。

第二次世界大戦の記憶が生々しかった時代に作られた映画ですので、
この世に思いを残して、
無念のまま死んでいったたくさんの罪なき人々への追悼のが、
この映画に溢れているのかもしれません。
観終わって、少し厳粛な気持ちになりました。
やはり、映画は名作を観るに限りますよね。。。