映画「宗方姉妹」(1950年)

映画「宗方姉妹」(1950年)


 
ストーリー:古風な姉(田中絹代)とモダンな妹(高峰秀子)を中心に、失業中で不貞腐れている姉の夫(山村聰)、姉に想いを寄せる優しいがやや優柔不断な元恋人(上原謙)、その彼に想いを寄せるリッチで勝ち気な未亡人(高杉早苗)、姉妹を見守る癌で余命幾ばくもない父(笠智衆)などの人間関係が、戦後間もない東京、神戸、京都、奈良などを舞台に描かれる。

これまた、観ていて眠たくなるような映画でした。
小津作品では異色の部類に入るでしょう。
この映画の撮影時期には、田中絹代ある事件があって
世間の凄いバッシングを受けていたそうで、
自殺も考えるぐらい追い込まれていたそうです。
演技にも迷いが見られて、小津監督をいらだたせたそうですが、
1950年頃と言えば、悲惨な第二次世界大戦の敗戦の反省から、
「日本的なもの」が盛んに否定された時代だったと思います。
この映画においては、
(いつも和服を着ている)姉(田中絹代)が古き日本を象徴し、
妹(高峰秀子)が、民主主義日本を代表するように描かれます。
劇中の会話を二人の引用します。
(以下
、ある方のブログからパクリました。赤字は猫さん
です)
 
姉夫婦と妹は、京都で隠居中の父と離れ、東京の家に同居している。求職中の姉の夫は毎晩のように飲みに出歩き、家の中に明るい雰囲気はない。ある夜、遅くに帰った妹を姉が叱る。ここから始まる姉妹の口喧嘩がこの作品のハイライト。
「早く家に帰ったってちっとも面白くありゃしない」「私、お兄さんの顔見たくないのよ」と文句を言う妹を姉はいかにも姉らしい態度でたしなめるが、妹はここぞとばかりに日頃の不満をぶちまけ、「私、お姉さんにだって言いたいことたくさんあんのよ」「あんなお兄さんに我慢してることないわ」と逆襲に出る。
「お互いに我慢しあってこそやっていけるのよ。そういうもんなのよ」
「嫌い。そんな古い考え方」
「何が古いのよ」
「古いわよ、古い古い、お姉さん古い!」
と投げつけるように言い放って自分の部屋に籠り、そこに聞き捨てならぬことを言われたと思った姉がやってくる。

「満里ちゃん、私そんなに古い? ね、あんたの新しいってどういうこと? どういうことなの?」
「お姉さん自分では古くないと思ってらっしゃるの?」
「だからあんたに訊いてんのよ」
「お姉さん、京都行ったってお庭見て歩いたりお寺回ったり」
「それが古いことなの? それがそんなにいけないこと?」
「‥‥‥」
「私は古くならないことが新しいことだと思うのよ。ほんとに新しいことはいつまでたっても古くならないことだと思ってんのよ。そうじゃない? あんたの新しいってこと、去年流行った長いスカートが今年は短くなるってことじゃない? みんなが爪を赤くすれば自分も赤く染めなきゃ気がすまないってことじゃないの? 明日古くなるものでも今日だけ新しく見えさえすりゃ、あんたそれが好き? 前島さん(家計を支える姉がママを勤めるバーのバーテンダー)見てご覧なさい。戦争中先に立って特攻隊に飛び込んだ人が、今じゃそんなことケロッと忘れてダンスや競輪に夢中になってるじゃないの。あれがあんたの言う新しいことなの?
「だって世の中がそうなってるんだもの」
「それがいいことだと思ってんの?」
「だってしょうがないわよ。いいことか悪いことか、そうしなきゃ遅れちゃうんだもの。満里子、みんなに遅れたくないのよ」
「いいじゃないの遅れたって」
「厭なの。そこがお姉さんと私とは違うのよ。育った世の中が違うんだもの。私はこういうふうに育てられてきたの。悪いとは思ってないの」

この部分に小津安二郎の、軽薄な時代風潮に対する批判が見て取れますね。
まあ、流行に乗りやすいのは常に変わらぬ日本人の国民性だから仕方がない事でしょうが。
 

 
 
それにしても、日本古来の伝統なのかもしれませんが、
これ程出来過ぎた妻をもった亭主は、
酒でも飲まないとやってられないのではないか
と同情いたしました(笑)
いっそ、「この甲斐性なし!」と詰るような妻であれば、
夫も救われたんじゃないか?
この映画においては、小津映画には極めて珍しく、
暴力シーンが見られます。
即ち、夫(山村聰)が妻を何度も何度もビンタするんです。
「お前のそういう処が気に入らないんだ!」

終始、こういった按配で話が進む映画です。。。
小津映画初出演の高峰秀子がとてもチャーミング 
でした。
そういう年頃の美女を堪能できただけよかったです。
 

 
 
以上