映画「祇園囃子」を鑑賞する!

映画「祇園囃子」を鑑賞する!

1953年 日本
 

 
 
この映画は、溝口健二の作品なのですが、
映画とは全く関係がない個人的なお話を一つ。
 
この映画でもバックミュージックのように使われる
コンチキチン~♪と言うお囃子の音を聞くと、
かつて、京都の繁華街のレストランで働いていた頃のことが
条件反射のように思い出されて、
私は、未だにゾッとするのであります。
皆さんにとっては楽しいお祭りなのでしょうが、
宵々山(7月15日)宵山(7月16日)
一日中走り回って働いていた人間にとっては、
祇園祭」=「地獄」
楽しい思い出なんかないのです。
そうは申しましても、
この映画に登場する京都祇園界隈の景色は、
青春時代をこの地で過ごした人間としては、
大変懐かしさを感じさせるものでした。
勿論、私は芸子遊びなんてした事はありませんし、
したいとは思いません。
祇園界隈は、前の奥さんとよくデートに使った場所なのでありました。


あらずじをくどくどと書くのが苦手なので、ネットからコピペ致します。
 

 
祇園の芸妓・美代春(木暮実千代)の屋形に、上七軒で芸妓をしていた母を亡くしたばかりの少女・栄子(若尾文子)が舞妓志願に訪れる。栄子の父は美代春の昔からの馴染み客だったが、メリヤス問屋の商売が零落し、体調もすぐれずに細々とした日々を過ごしている。美代春の使いとして訪れた男衆に向かって、栄子の保証人にはならないと言う。しかし、栄子の熱意に負けた美代春は彼女を仕込む決心をした。
 一年間の舞妓修行を経た栄子は美代栄として見世出しし、お茶屋の座敷で車両会社の専務・楠田に見初められる。美代春も楠田の取引先である役所の課長・神崎に好意を抱かれる。
 美代春と美代栄を連れて上京した楠田は、美代春たちには内緒で神崎も呼び寄せていた。宿泊先の旅館で神崎の相手をするように頼まれた美代春は困惑しながらも神崎と対面する。いっぽう、美代栄は強引に迫る楠田を
拒みながら大怪我を負わせてしまう。 この事件で美代春と美代栄はお茶屋への出入りを止められ、屋形で侘びしい日々を送ることになる。
 しばらくして、お君(浪花千栄子)から神崎の座敷に来るようにとの連絡が届く。従えば、美代栄の事件のことは許すという。 戸惑いながらも行く決心をする美代春。一夜明けて屋形に戻った美代春をなじる美代栄。
世代も考え方も違うふたりの心がぶつかり合ったのち、いっそう堅い絆で結ばれていく。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1953年頃と言えば、日本国憲法が制定されて、
女性の社会的地位向上などが盛んに喧伝された時代でしょうから、
「男尊女卑」の象徴のような芸者の世界を描くにあたっても、
それなりの配慮があったのかもしれませんが、
それにしても幾ら10代の少女とはいえ、
これだけ純真で、前衛的な(笑)芸妓がいるんだろうか?と疑問に思いました。
やはり、こういう世界は陰での男女の関係 
を前提とするのは、
当たり前の事なんじゃないんですか?
いくらなんでも、栄子は初心すぎると思う。
(こういう世界に疎い私には判断する由はありませんがね。)
ただ、ひとつ言えることは、この世界は黒澤明には絶対描けない
すべてを決心して、好きでもない男性のために着物を脱ぐ美代春の仕草には、
胸に迫るものがあるものがありました。

こんな事、書いていて恥ずかしい。
 
社会の底辺に生きる人たちへの共感と温かいまなざしは、
私が溝口健二を尊敬する最も大きな美点です。
 




 

 

 
若き日の若尾文子は、大変可愛らしかった
です 。