「世間」と知識人

「世間」と知識人

毎度、毎度、同じ話で申し訳ないんですが、
知識人なるものは、本来、
一般大衆の無意識的総意であるところの「世間」とは相容れないはずの存在で、
従って、同時代の人々には迫害される
そういうもんだという思い込みが私にはある訳です。
ざっと、頭に浮かぶ人々を挙げてみても、
 
ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年)

 
イエス・キリスト(紀元前4年頃 - 紀元後28年頃)
 

 
 

 
チャールズ・ダーウィン (1809年 - 1882年)
 

 
 
みんな、その時代時代の「世間」が許さずに迫害された人々です。
「空気」が読めない人たちだった。
 
翻って、日本
の現状を考えてみるに、
明治以来の近代に限定してみても、見ていて寒々しい思いを禁じ得ない。
99%の日本の「知識人」ファシズムに加担したのは言うまでもなく、
言論の自由を保障された戦後になっても、
次から次から入ってくる海外の新しい思想を咀嚼している
ただ単に、
その時代時代の流行に追随しているだけの輩が殆どじゃないのでしょうか?
 
これまた、同じことばかりで申し訳ないのですが、
私が「女は戦争を望まない」などと言う発言に反感を感じるのは、
そんなことを言う人たちが、
歴史から何も学んでいないように思えるからです
今の時代の流行の思想がフェミニズムであるのと同様に、
1930~40年代前半の流行の思想はファシズムだった。
流行に追随しているという点では、
フェミニストも、国防婦人会の奥様方も何ら変わりはないのです。

 

 
 
 
山本太郎なる方が、
今度の参議院選挙で唯一、無所属で当選されました。
この方の考え方に100%は私は賛成いたしません。
(と言うより、政治的なことに私は無知なんですが。)
でも、方々でバッシングを受けているこういう方こそ、
円形脱毛症になって苦しむ、でも戦いを止めないこういう人こそ、
知識人と呼ぶべきではないんでしょうかね?
決して、教育ママ 
が手本としたいような人物ではないですけどね~
 
 
※かつて、頻繁に私のブログにコメントを頂いていたブロ友さん(女性)が、
お金持ちでインテリの自分の主人を「ソクラテス」と呼ぶのにひどく違和感を覚えた記憶があります。
決して、私に好意を持って沢山のコメントをくれた人を中傷はしたくないのですが、
その女性と喧嘩別れしてしまった背景には、そういう事情があったことを、ここに告白しておきます。
黄色人種ソクラテスってねえ~(笑)
ごめんなさい。