映画「ゴッドファーザー PART2」を、劇場で鑑賞する!

映画「ゴッドファーザー PART2」を、劇場で鑑賞する!


 
 
「映画は劇場で観るべきだ。」というブロ友さんのご意見に動かされて、
なんと、アバター以来の映画劇場鑑賞をして参りました。
場所は、私の職場のすぐ近くの大阪ステーションシネマ
前に記事に致しました、新・午前十時の映画祭。

 



 
午前十時の映画祭って、本当に午前10時だけにしか上映しないんですね。
それを知って、ちょっと躊躇したんですが、
やっぱ、ゴッドファーザーだけは一度大きなスクリーンで観ておきたい。
という事で、朝早くから用意して出かけました。
 

 
 
ゴッドファーザーに関しては、このブログでしばしば取り上げてきましたが、
私が100回以上観たのは、
ゴッドファーザー・サガ(テレビ用特別編集)」という、
コルレオーネ・ファミリーの歴史を年代順に並べた、
判りやすいバージョンでして、
(映画でカットされたシーンも追加されている。)
今回鑑賞したゴッドファーザーPART2」(1974年)は、
大好評を博したゴッドファーザー(1972年)の正統的な続編なんですが、
物語の時系列が複雑で、
前作の後日談であると共に前日談に相当するというややこしい映画であります。
映画のPART1とPART2がともに、アカデミー作品賞に輝いたのは、
後にも先にも、この映画だけだそうで、
思えばこの映画が、今日隆盛を極める
名作の前日譚とか「ナントカサガ」の先駆けとなったのでしょうね。
そういう意味でも、F.F.コッポラは、もっと尊敬されてもいいと思う。
 
初めてこの映画を観た人は、
お話の時代設定がポンポン移り変わるので、
訳が分からなくなってしまう方も多いそうですが、
あらすじを熟知している私からすれば、
やはり、非常によくできた映画だなあと感心致しました。
 

 
 
若き日のヴィトー・コルレオーネと、
コルレオーネ・ファミリーを継承した
マイケル・コルレオーネ(息子)を対比的に描くことによって、
この映画の主題みたいなものが浮かび上がる仕掛けになっている。
ヴィトー・コルレオーネを演ずるロバート・デニーロがとても美しい

何だかんだって、やくざの親分に過ぎないんですが、
若き日のヴィトーのエピソードは、
どれもこれも明るく希望に満ちた未来を予感させるお話になっております。
(残酷なシーンもかなり撮影されたようですが、
編集の時点でカットされたそうです。)
 

 
 
それに対比するかのように、
アル・パチーノ演ずる二代目ドンの陰鬱で残酷なお話。
身内からの裏切り、嫉妬、謀略。。。
 
どんな世界でも、
一代目は下積み経験があるので、立場の弱い人間の悲しみがわかる。
だから、上に立っても、人情味があってみんなに慕われる。
それに比べて、二代目は権力を維持するためには冷徹にならざるを得ないから、
敵を多く作ってしまう結果となる。
よくある話です。
しかし、私は、
マイケル・コルレオーネが段々孤立して残酷な皇帝になっていく背景には、
時代の変化という要素があるのではないか?と考えました。
映画の中でも、兄の裏切りを知って苦悩するマイケル
お母さんと話をする印象的なシーンがあります。
マイケルの苦悩を理解してくれない母親との会話の後で、
「時代が違う。」とつぶやく。
つまりは、
昔は父親が父親であり得た時代だったんでしょう。
家族を守るためとはいえ、
次々と犯罪を犯すヴィトーを、奥さんは一切非難しません。
しかし、
民族的な血筋も違い教育を受けているマイケルの妻(ダイアン・キート)は、
マイケルの事を「悪魔だ!」と罵ります。
私は、
スクリーンの上では古き良きアメリカの父親を演じたヘンリー・フォンダが、
その父親に反抗する形でキャリアを築いていった
悩まされたことを連想いたしました。
かつては成れたような父親に、今の時代に成るのは本当に難しい。
まあ、「男はつらいよ」といったところでしょうか?(笑)

 

 
 
脇を固める演技陣の素晴らしさは、改めて言うまでもありません。
それに関しては、度々このブログで触れましたので、繰り返しません。
私は、この映画を『俳優の百科事典』と呼んでおります。
仲代達矢の臭い演技に辟易した方は、
お口直しに、この映画をご覧になってくださいませ。






 
それにしても、これだけ完成度の高い続編を見せられると、
コッポラがいやいや作ったとはいえ、
そのまた続編のゴッドファーザーPART3」は完全に蛇足だよな~と
改めて思いました。

映画は、大きなスクリーンで観ると迫力が違いますね。
これを契機に、また重い腰を上げて、映画館に行ってみよう