遠藤周作の「沈黙」、M.スコセッシがやっと映画化へ

遠藤周作の「沈黙」、M.スコセッシがやっと映画化へ


 

 
 
ファンとしては嬉しい限りですが、
まあ、こういう期待の超大作は、そのうち方々で宣伝されるでしょうから、
私がここで書くまでもありますまい。
公開は、来年12月18日だそうな。
また、ファンが劇場前でテントを張るんでしょうね。(笑)


 
それはさておき、
それはさておき、
私にとっては、待望のニュースがやっと到着いたしました。
アメリを代表する映画監督M.スコセッシが、
予てからの念願だった遠藤周作の小説「沈黙」の映画化を、
やっとスタートさせたという朗報が。
 

 
 
M.スコセッシと言うと、
ギャング映画ばかり撮っていると思われるやもしれませんが、
少年時代は、映画監督ではなくカトリックの司祭を目指していたと言うくらい、
キリスト教に深い関心を持っておられる人物です。

1970年代初頭から熱望していたギリシャの哲学者・小説家ニコス・カザンザキスの『キリスト最後のこころみ』の映画化『最後の誘惑』を1988年に実現(脚本はポール・シュレイダー)するが、キリスト教右派からの猛烈な抗議と暴力的な脅迫・上映妨害を受けることになる。(Wikiより)
 

 
 
この「最後の誘惑」と言う映画は、
私にとって、生涯のベスト10に入る位思い入れの深い作品で、
キリスト教には関心の薄い日本では話題になりませんでしたが、
「聖書」から逸脱したキリストの描き方に、
キリスト教文化圏では、大物議を醸した作品であります。
私は、この映画で描かれる生身の人間として苦悩するキリストの姿に、
深く感銘を受けたのですが。。。
 
 
そのM.スコセッシが、今度は「沈黙」に取り掛かります。
 
 

 
 
 
お話の内容は、ネタバレになるのでここでは触れませんが、
私にとって最大の関心事は、
遠藤周作が作品で描いた、一神教を受け付けない日本の精神文化の在り方を、
M.スコセッシがどのように映画で解釈するか?と言う点にあります。

「パードレは決して余に負けたのではない。
この日本と申す泥沼に敗れたのだ。」(小説「沈黙」より)

「日本と申す泥沼」
 
それをどう彼は描くのでしょうか?
興味は尽きません。
ハリウッドの大スターも、渡辺謙も出演するらしいですから、
キリスト教に関心のない方も、観てほしいな~と思う私でした。