心配性な私

心配性な私


 
 
私は、子供の時から心配性の性格で、
少しの事でもくよくよ思い悩む傾向があります。
子供の時に、贅沢にもピアノの練習をさせてもらっていたのですが、
発表会の3か月前から、うまく弾けるだろうかと思い悩んでおりました。
予防接種の注射が怖くて、これまた、3か月前から思い悩む日々。
(血を見るのが怖いんです。
 
三つ子の魂百までと申しますが、
こういう性格は、歳をとってもあんまり変わらないようで、
最近も3つの難関を迎えて、のた打ち回っておりました。
一つは、パソコンのテスト
これは、何とかクリアできたことは、
もううんざりする程ご存知でしょうが、
もっと心配しないといけない心臓の検査も、
特に異常がないという事で、
ホッと胸をなでおろした次第であります。
もう一つの心配事は、詳しくは言えませんが、
まだ、解決しておりません。
だから、心が晴れません。
 
森田療法的に言いますと、
こういう心配性の性格が問題になるのは、
心配する苦痛から逃れようとするからであって、
もっと、もっと、心配すればいい。
心配して当然のことを、病気だと思い込むから、
事をややこしくしている訳であります。
私が若い頃教えていただいた先生は、
「苦痛をしみじみと味わいなさい。」と仰られておりました。
確かに、犬
や猫
は将来の事を心配しません。
うちの馬鹿なミルクは、今日一日のご飯が食べられたら満足している。
私が引越ししてしまったらどうなるかなんて、心配しないで生きております。
「よりよく生きたい。」と言う欲望が、心配性を生んでいるんでしょうね。
そうはいっても、精神的苦痛から逃れたいと思うのは、人の常。
「苦痛をしみじみと味わいながら」生きるというのも、
これはまた、大変なことなのでありました。