映画「ハンナ・アーレント」を鑑賞する!
映画「ハンナ・アーレント」を鑑賞する!
2012年 ドイツ・ルクセンブルグ・フランス
これは、前から観たかった映画なのであります。
波乱万丈の人生を送った彼女であるにもかかわらず、
伝記的なお話ではありません。
映画の焦点は、もっぱら、雑誌『ニューヨーカー』の特派員として、
ナチスの官僚で、アルゼンチンに逃亡していた
大論争を巻き起こした(wikiより)、その経緯に絞られます。
今でも論争が続いている論点は、「悪の陳腐さ」「悪の凡庸さ」という言葉にありました。裁判でアーレントが見たアイヒマンは、怪物的な悪の権化ではけっしてなく、思考の欠如した官僚でした。アイヒマンは、その答弁において、紋切り型の決まり文句や官僚用語をくりかえしていました。アイヒマンの話す能力の不足は、考える能力、「誰か他の人の立場に立って考える能力」の不足、と結びついている、とアーレントは指摘しました。無思考の紋切り型の文句は、現実から身を守ることに役立った、と彼女は述べています。ナチスによって行われた巨悪な犯罪が、悪魔のような人物ではなく、思考の欠如した人間によって担われた、と彼女は考えました。しかしユダヤ人社会では、大量殺戮が凡庸なものだったというのか、ナチの犯罪を軽視し、アイヒマンを擁護するのか、といった憤激と非難の嵐が起こりました。
盛んに「マインド・コントロール」と言う言葉がマスコミに氾濫しましたが、
はたして、オウム真理教の信者たちは、
私は大変疑問に思いました。
警察に捕まって、自分たちのしたことを急に一斉に反省しだす元信者たちを、
「警察のマインドコントロールに変わっただけじゃないか!」
と野坂昭如さんは批判しましたが、
(高学歴であったにもかかわらず)、
思考の欠如した人間だったという事になりますね。
「ナチスドイツ」= 絶対悪
「可哀そうなユダヤ人」= 絶対善
という、未だにハリウッド映画なんかに多くみられるステレオタイプからすれば、
ハンナ・アーレントの見解は
多くのユダヤ人にとって許しがたいものだというのは理解できますが、
批判をされるのを承知で、このような問題提起をした女性哲学者の勇気には、
私は感服いたします。
勤務していた大学からは辞職してほしいと告げられる。
だが、「絶対に辞めません」と拒否した彼女は、
学生たちへの講義という形で、初めての反論を試みる。
この8分間のスピーチを聞くだけでも、
この映画は一見に値すると言えるでしょう。