日本文化のルーツ、TSUTAYAのルーツ

日本文化のルーツ、TSUTAYAのルーツ

※ブロ友さんの、高麗神社の記事に触発されて書きました。



私の住んでいる所は寝屋川市ですが、
隣りに、枚方市と言う比較的大きな都市があります。
用事があって枚方市に行くときに、
いつも気になっている名所があったんですが、
行きそびれておりました。
今回、3連休を戴いたので、行ってまいりました。

百済王神社

私は、現代韓国人
が大嫌いであります。
このことは、以前記事にしたんですが、
内容が過激すぎると思ったので、削除しましたが、
日帝36年の恨み」だとか、従軍慰安婦の問題だとか、
やれ孔子は実は韓国人だった」だとか、
結局は、ルサンチマンなんですよね~
ルサンチマンは何も生まない。

しかし、特に古代において、
日本文化朝鮮文化から多大な恩恵を蒙っているのは、明白な事実のようです。
それは、認めないわけにはいきません。
岸田秀に言わせますと、
近代に入ってからの日本人の韓国人、中国人への蔑視は、
近代以前の尊敬の反動形成なのだそうですが、
特に韓国と日本の間には、
近親憎悪と言うか、ややこしい感情がこんがらがって
修復するのには難しいものがあるように思います。

それはさておき、私が気になっていたのは、
百済王神社という処です。









この神社の由来などに関しては、
境内に説明文がありましたので、写しておきます。

中国の隋・唐王朝の政治的圧力により、朝鮮半島では高句麗新羅百済が興亡を繰り返しその戦いに敗れた人たちが、同盟国である、平和な日本を頼りに来朝し、日本の大和朝廷に庇護を求めた。多くは大和朝廷の臣下に迎えられ、日本の各地に定着し、日本民族に同化していった。
この潮流の中で、大和朝廷の臣下となり僻地の東北地方に赴任していた百済国宗家の子孫の集団が赴任地で金を採掘し聖武天皇の大仏建立時に、黄金900両を献上した。その褒賞としてこの河内国枚方市中宮)が与えられた。そして、この地に一族の祖霊を奉る氏寺として百済寺や廟を創った。
朝鮮半島を追われた人たちは、進んだ技術を持ち、それらで当時の日本社会に貢献し、日本国家に忠誠を誓い、日本人として社会に溶け込んで、朝廷の中で栄達していった。この地に”百済"という”名称"が今に伝わる由縁である。
この地に百済寺・廟を建て、渡来人としては初めて、百済王(くだらのこにきし)という姓(かばね)を朝廷から賜った百済国宗家の子孫一族は、その後の詳細は不明だが平安中期以降、政治の中央の舞台から姿を消していった。

百済王神社の横に、百済寺跡公園がありました。









百済王敬福(697~766)と言う人が建立した寺院だそうで、
当時は、さぞ荘厳な建築物だったんでしょうね。
渡来人の権勢が偲ばれます。
日本韓国の植民地になったら、ここの建築物が再興されて、
日本人は強制参拝されられるやもしれません。(笑)




全然関係ありませんが、
全国に名を馳せるTSUTAYAも、その第一号店は枚方市駅前です。
枚方市駅前に、このような店舗が。





おそらく、同族会社なんでしょう。

相変わらずへたくそな写真ですが、ご勘弁を。