私達は、ブランド(権威)に弱い

私達は、ブランド(権威)に弱い



またまた、盗作疑惑騒動が、巷を賑わせております。
ちょっと、みっともない話ですね。
私が執拗に拘ってきた例のSTAP細胞の事件との類似点はと言いますと、

本当にしつこいなあ。。。
事件の渦中の人、というか、騒動の張本人が、
ええとこのお坊ちゃん、お嬢ちゃんだったことでしょうね。
一家一族がエリートみたいですし、本人もキャリアは申し分がない。






で、疑惑の発端が、海外からの告発だった事も同じです。
もし、日本が鎖国していたら、この人たちの名誉は傷つかなかったかもしれない。

話は飛躍しますが、
日本の近代文学なんて、大方欧米文学のパクリらしい。
これは、日本の研究者があまり言わない事ですね。
どう考えても、島崎藤村「新生」トルストイ「復活」の真似だよなあ。

何が言いたいかと申しますと、
日本のインテリなんて、90%以上の人は、
昔から似たような事をしてきたんです。
ただ、昔は日本文化になんて、世界のだれも関心を持たなかったし、
こんなに情報が瞬時に世界を駆け巡る時代ではなかっただけの話。

閉ざされた島国の中で、「世間」のルールにさえ従っていれば、
「創造性」なんて要求されない社会。「肩書」が、幅を利かせる社会。

映画の世界についていえば、
北野武が盛んに批判するように、
無名の才能のある新人を発掘しようなんて言う姿勢はまるでない。
タランティーノが日本に生れていたら、
一生、ビデオレンタルショップの店員だったでしょう。

だから、教育ママが、わが子をいい大学に行かせようと、
血眼になるんでしょうけどね。