個人的な体験

個人的な体験





これは、うろ覚えの知識なので間違っているかもしれませんが、
大江健三郎の小説「個人的な体験」の題名は、
森有正という哲学者の、

「日本人には、個人的な体験がない。」

という文章から取られたものだという指摘をどこかで読んだような気がします。
大江氏のこの小説は、ご存知のように、知的障碍を持つ子供が生まれた自身の体験から取材したもので、一応、大江氏の代表作ということになっていますが、私は何と大袈裟な題名か?と、若いころは不思議に思っておりました。



森有正
(1911~1976)という方の言いたかったのは、戦争中のファシズムの時代にせよ、戦後の民主主義万歳の時代にせよ、日本人はみんなで一緒に行動する、個人的な経験を積むことがないということだったと私は思っています。
なるほど、バブル経済の頃には、みんなが金儲けに奔走していましたし、ちょっと景気が悪くなって小泉純一郎さんが「構造改革」と唱えると、90%の人間が支持する。大学教育を受けた人たちは、例外なく女性差別 !」と連呼する。(←本人は独創的な見解のつもり。。。(笑))
だから、知的障碍のある子供を持つだけで、日本では「個人的な体験」と呼ぶに値するんでしょうね。歳をとって、その意味が分かるようになりました。

私が、実社会で他人とのズレを感じてしまうのは、どうもこの辺に理由があるのかもしれません。私をよく知る人は、私を「変人」と呼びます。でも、AB「変人」だと思っているということは、裏返せばBからすれば、A「変人」に見えるということでしょう?(笑)
私からすれば、なんでみんなが同じ行動をとるのか、理解できない。
取りあえず皆と同じことをしてたら安心だというのも、
当てにならない処世術です。
こういうズレは、きっと一生治らないものなんでしょうね。