映画「ブレードランナー 2049」を鑑賞する!

映画「ブレードランナー 2049」を鑑賞する!

2017年 アメリ




ブレードランナー(1982年)は、ブロ友さんにも好きな方が多くて、現在では名作として認知されているようですが、公開当時は必ずしも高い評価を得たとは言えませんでした。公開後、何年か経って、徐々にカルト的な人気が出てきたのであります。
(このころより、ビデオの普及が一般的になったのも、一役買っていたでしょうね。)
今流行りの名作の続編であるこのブレードランナー 2049」は、アメリ
ではこけたとの情報が、ネットを賑わせていました。日本
でも賛否両論のようです。
私には珍しく、DVD化される前に劇場でこの映画を観てみたのですが、私もそれほどいい映画だと思いませんでした。




前作が、多くの人々の心を惹きつけたのは、映画が疎外された人間の悲しみをテーマにしていたからでしょう。(因みに、この映画の原作であるフィリップ・K・ディックの小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とは、この点で微妙に主題が違うように私は思います。)




今回のブレードランナー 2049」も、その主題を踏襲しています。しかし、二番煎じの感が拭えません。前作に深い思い入れがある人たちは、この映画にある種の郷愁を感じるのでしょうね。そういう風に作られています。だから、中年以上の人たちには受けがいいみたい。でも、1980年代にまだ生まれていなかった若い人たちはこの映画をどう見るか?前作を知らないとなんのことやら判らない部分がたくさんあります。大体、2049年に日本企業がまだカリフォルニアを牛耳っているのでしょうか?日本語がそれほど普及しているのでしょうか?(笑)




この映画が前作で描いた主題から、新しい展開を描き出したかといえば、全くそうは言えません。映画全体がノスタルジーに充ち溢れすぎている様に私に感じられました。
おそらくスターウォーズ/フォースの覚醒」の大成功に触発された企画なのでしょうが、「エイリアン」といい「ブレードランナー」といい、リドリー・スコット(この映画はプロデューサー)も過去の作品の焼き直しばかり作るようでは、映画作家として終焉を迎えているのでしょうね。