懲りずに映画「キャプテン マーベル」を鑑賞する!

懲りずに映画「キャプテン マーベル」を鑑賞する!



2019年 アメリ

なんだかんだって、悪口を書きながら、観てしまうんですよね~(笑)
はい、日本語吹き替え版で観ました。ガキに囲まれて。

スターウォーズが、「最後のジェダイでコケてしまったので、シリーズ化の快感を味わえるのは、MCUしかないのであります。
なんで、この手のシリーズモノが、映画界を席巻するのかと言えば、映画の冒頭で、複雑な人物設定をいちいち説明する必要がないので、観客がスムーズにお話に入っていけるという利点があるからでしょう、作り手に才能があれば、登場人物にまたとない深みを与えることができる。ゴッドファーザー PARTⅡ」(1974年)は、その顕著な成功例ですね。



で、MCU」も、ある程度は、それに成功しているように思われます。毎度毎度、往年の名俳優がカメオ出演するので、それを見るだけでも楽しい。この映画では、アネット・ベニングでした。
今回、初めて女性のヒーローが、主人公になりましたが、「女性は、元来肉体的には、男性に劣っている」という前提をもとに作られた話なので、リアリティがありました。(ワンダーウーマンとは、そこが違う(笑))
で、その「弱い女性」が、例によって、ひょんなことからスーパーパワーを手に入れるのであります。ここの処の説明が、余りに弱い。スパイダーマンを観ても思うのですが、なんで蜘蛛に刺されただけでヒーローになれるのか?
それなら、私は「モスキートマン」だ!




モスキートマン(らしい)
※この映画とは関係ありません。


気になったのは、スーパーパワーを手に入れたキャプテンマーベルが、段々態度が傲慢になっていくこと。聞けば、主演を演じたブリー・ラーソンはゴリゴリのフェミニストらしい。(みんな、流行に弱いなあ。。。)




でもねえ、自分の努力で手に入れたわけでないパワーで、偉そうにするのは如何なものか? 長い間、男性に虐げられてきた怨念がこもっているのかもしれませんが、最近の映画に一般的にみられるマイノリティ(有色人種とか女性、同性愛者とか)はすべてであるという描き方には、かなり抵抗を感じる私でありました。




で、物語は、アベンジャーズ/エンドゲーム」に続きます。

ああ、シリーズ化の快感
映画の堕落