小説「希望の国のエクソダス」

小説「希望の国エクソダス」(村上龍著、2000年刊行)


 
私は、村上龍の小説の読者ではありません。
大体、かの有名な限りなく透明に近いブルーも読んでいない。
何か、都会のハイカラな人の小説で、河内の田舎もんにはわからないと云う、
勝手な劣等感で敬遠してきました。
でも、この希望の国エクソダスだけは、どういう経緯か忘れましたが、
単行本の段階で購入し、何度も何度も読みました。
エクソダス(the Exodus)と言うのは、教養深い我がブログの読者なら御存じの事と思いますが、
迫害に耐えかねてたユダヤ人が、モーゼをリーダーにエジプトを脱出した旧約聖書の事件の事ですが、
ここでは、学校でいじめを受ける天才少年達の日本脱出の比喩です。
最近読んだ、村上春樹「ダンス ダンス ダンス」にも、
美しく個性が強すぎて学校に行けない女の子が出てきましたが、
「出る杭は打たれる」と云う国民性のわが国では、
個性的な子どもは、集団への帰属を強制する日本の学校教育になじめない。
かくいう私も、(個性的かどうかは別として)学校嫌いだったので、
この小説を手に取ってみる事になったのかもしれません。
(恥ずかしながら、私が遅ればせながらPCの勉強を始めたのも、この小説の影響です。)

不登校になった全国の中学生達が、インターネットで連絡を取り合って、
既成の社会秩序に反抗し、事業を起こして、
遂には自分達の独立王国を作ってしまうというのは、まさに夢物語ですが、
年功序列が隅々にまで行きとどいた我が国の文化への、強烈なアンチテーゼでしょう。
そのせいで、少年達のグループが異常な成功を収める過程において、
盛んに世間の人々の「嫉妬」と云う言葉が作品中に出てきます。

最大の見せ場は、少年達の行動が社会問題になって、
国会にグループのリーダー格のポンちゃんと云う少年が参考人として呼ばれるシーンです。
ポンちゃんは、全世界のTVが中継しているその場で、次のような演説を始めます。
 
この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない。
 
まだ、すこしはバブル経済のおこぼれが残っていた、2000年代初頭の小説で、
「この国には何でもある」と云うのは、もはや現代のこの国には当てはまらなくなりましたが、
それにしても、この台詞には、インパクトがありますね。
そして、今となっては予言的でもある。
この国会におけるポンちゃんの演説が、日本経済の危機を救う事になるのですが、
このくだりは、極めて劇的です。
世界各国の新聞に、
「日本の中学生、通貨危機を救う!」という見出しが躍ります。
このシーンの為にだけにでも、誰かこの小説を映画化してくれないでしょうかね?

小説に触発されて、村上龍のエッセイを読む機会が増えましたが、
若くして成功を収めて、その後個性的に生きてきたこの人にとっては、
日本はやはり居心地の悪いもののようです。
「酒場に行くと、平凡なサラリーマンによく絡まれる。」とぼやいていました。

子どもを「いい学校」に入れて、「いい会社」に就職してもらいたい
世の父兄からすれば、眉をひそめる内容かもしれませんが、
「いい会社」が一生面倒見てくれなくった昨今においては、
村上龍の視点も、一考に値するかもしれません。
将来に閉塞感を感じている人には、何かのヒントになるのでは?

お暇な方は、御一読を。