伊丹十三氏の思い出
伊丹十三氏の思い出
って、別に知り合いだった訳ではないけれど、
前に書いたスノビズムとしての日本文化が、
も一つ意味がわからないと、びいのたけしさんに言われて、
もっと、しっかり勉強しようと、
大変保存状態のいい古本で、
その帯に、今は亡き伊丹十三氏の推薦文が書かれていて、
推薦文を、引用します。
佐々木孝次氏によれば人間には三つの種類があって、それは幼児と母親と父親であるという。幼児とは「僕」である。母親とは「僕に快を与えてくれる人」である。「僕と母」は二人で一人の関係をなして快の繭の中に閉じている。これを引き裂くのが父親である。父親とは何か。自分の母親と切れている者、死んだ父親の言葉を子に伝える者、自分で耐えるべき不快に自分で耐えることを知っており、それを子に教える者である。父親なくして子は父親になることはできない。
そしてー
なんということだ!日本人はこの父親という存在をいまだに発明しておらぬのである。
そしてー
なんということだ!日本人はこの父親という存在をいまだに発明しておらぬのである。
日本人は父親を発明していないというのは、
(ちなみに佐々木氏はフロイド派)
私には大変説得力のある説だと思うのですが、
なかなか世には受け入れてもらえないようです。
「父親」と云うと、
石原慎太郎氏のようなおっさんを思い浮かべる人もいるでしょうが、
ああいうのは「父親」ではありません。。。、
話はそれましたが、伊丹十三氏は、
言いたい事をちゃんと言う数少ない日本人の一人でしたので、
その早すぎる死は、悼まれます。
映画はも一つ好きになれませんでしたが、類いまれな才人であったことは確かです。
やはり、「出る杭は打たれる」のでしょうか?