映画「日の名残り」を鑑賞する!

映画「日の名残り」を鑑賞する!

1993年 イギリス
 
 

 
 
アカデミー賞にもたくさんノミネートされたみたいだし、
鑑賞眼のあるわがブロ友さんたち
の評価も概ねよかったので、
この映画は期待して観たんですけれど。。。
原作は日系イギリス人(?)のカズオ・イシグロの同名の小説で、
小説の方はブッカ―賞を貰っているぐらい評価が高いそうなんですが、
私は読んでいません。

私のかねてからの持論に、
原作が良すぎると映画化されたものはつまらない 
というのがあります。
勿論例外もあります。
しかし、例えば(前にも書きましたが)
文句なしの世界文学の最高峰戦争と平和の映画化作品が、
どれもとてもつまらない退屈なものばかりだったり、
2001年宇宙の旅の小説版を誰も名作とは呼ばない事など考えてみるに、、
小説向きのテーマ、映画向きのテーマというのがあるのではないか
と私は考えるんですけれど。
小説には小説でしか表現できないことがあり、
映画には映画でしか表現できないことがあると。
 
早い話が、この映画にのめり込むことができなかったんです。
確かに、見事に再現された第二次世界大戦前のイギリスの貴族の生活は、
見ごたえがありました。
けれども、このお話のモチーフであろう
アンソニー・ホプキンス演じる執事の微妙な心理の動きが、
も一つ観る方に伝わってこない。
やはり、これは小説向けのお話ではなかったかと。

 

 
 
 
 
 
それにしても、この映画で描かれているような、
イギリスの階級社会の断絶の凄まじさ
は、
ちょっと私たちの理解を越えるところがありますよね。
なんでも、大英帝国が世界に君臨し、
「日の沈むところなし」 
と謳われた
ビクトリア女王時代の絶頂期でも、
イギリスの労働者階級には栄養失調の人々がたくさんいたそうです。
バブル経済時代には
ごく普通の主婦までもが株の投資に走った日本の「平等」ぶりとは、
いかに社会が違うかがよくわかります。)
そういう時代風俗の再現映画としては、とてもよくできた映画と思いましたが、
肝心のお話の方が、私にはも一つでした。
という事で、「芸術」がわからない野暮天猫さん 
は、
また借りてきた刑事コロンボを観ることにしたのでありました。
 


 
※細かいあらすじを語るのは苦手なので、省略させていただきます。
ストーリーに興味のある方はネットで調べてくださいという投げやりなブログです。