情報の多様性と画一性

情報の多様性と画一性



 
 
iPad2を購入して数か月。
基本的な機能はiPhoneと変わらないものの、
そのツールの多様性には驚くべきものがあって、
歳を取って古びた脳細胞ではなかなか使いこなせないのが現状ですが、
正直に言って、
前にも何度も書きましたが、
「ここまで便利になる必要があるのだろうか?」と言う疑問が湧くのであります。
私は、一人っ子でしたので、
子供の時に、結構高価なおもちゃを買ってもらえる境遇にありました。
でも、そういう既成のおもちゃってすぐに飽きちゃうんです。
それよりも、自分で粘土やダンボールで作ったものの方が、
想像力をかきたてられていろいろ工夫できて楽しかった。
子供の遊びって、貧しい国も金持ちの国も、
結構似たようなものが多いみたいですよね。
 

今、ふと気が付いたんですけれど、
日本が世界に誇る漫画文化も、
基本的には紙とペンだけの世界ですよね。
トキワ荘手塚治虫を慕って集まった人たちは、
みんな貧乏で想像力だけしかなかったと思う。
でも、その想像力が、
(大袈裟な話)世界を制覇したんです。


これだけいろいろな便利なツールがあって情報が溢れていたら、
古代ギリシャの思想家たちや、中国の諸子百家のように、
幾らでも多様なものの考え方が価値観
出てきてもよさそうなものだと思うのに、
マスコミを少し見渡しても、
皆様のブログを拝見しても、(勿論例外は多々ありますが)
何か恐ろしく画一的な思考が支配してるように
私には見受けられます。
これも、前に書きましたが、
小泉純一郎さんが総理大臣になった時の
国民の支持率が90%を越えた時には、
私は恐怖すら感じた。
TVに洗脳されている!
 
こういった傾向は今でも随所に見受けられます。
やれ、女性差別、反原発嫌煙AKB48(←一緒にしたらダメかな?)。。。
これは、流行に敏感で、
流行に便乗した方が得なことが多くて
流行に乗り遅れまいとするわが国民性なのかもしれませんが、
偏屈ものの私としては大変うんざりするのであります。

と言う話も、これまで何度も書いてきました。
結局、iPadをも使いこなせくなってきた年寄りの僻みなんでしょうか?