3月11日を迎えて

3月11日を迎えて


 
 
もうすぐ、あの大地震から1年になろうとしています。
多くの尊い命が失われ、
今なおいろいろな形で、後遺症に苦しむ人々がおられます。
亡くなられた方への追悼と、
復興に向けて努力されている方への尊敬の念を表明したいと思います。
 
神戸の大震災の時にはなかった今回の地震の最大の焦点は、
言うまでもなく福島第一原発事故です。
事故が起きてから、
国内ではかなりのマスコミに対する報道規制があったようですし、
TVなどでは、御用学者の楽観的な見通しばかりが横行し、
それに対してほとんどの人々が疑心暗鬼になったようで、
ネットなどで様々な憶測を呼びました。
特に、海外での今回の事故に対する報道と、国内でのそれとのギャップから、
精力的に海外のマスコミの記事を翻訳されて紹介される
ブロ友さんもいらっしゃいました。
一時は関東平野から住民が避難しなければならないという
情報まで流れたぐらいですから、
皆が不安になるのは当然でしょう。
自民党石原伸晃幹事長は、
「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べたそうですが
そういう言い方は無神経だと私も思います。
自分たちの失敗を隠したがる日本の権力者の体質は、私もよく知っています。
 
しかし、(何度も書きますが)
1日3回も権力者を批判するようなブログ記事ばかり載せる方々などをみるにつけ、
私は何か釈然としない思いがいたしました。
そういう方々は、
以前より権力者に批判的な記事を書かれるのを常としていたのですが、
3月11日までは、
ほとんどの方は原子力発電の危険性には触れていなかったのです。
そういう方々が、あの日を境に突然俄か原発評論家に変身して、
連日のように、皆の不安ばかり煽り立てる記事を掲載するようになりました。
そういう方々は、今回の地震でもし原発事故が起きていなったら、
別の形で権力者を批判していたんじゃないのでしょうか?
やれ「政府の対応が遅い。」とか「避難民の痛みがわかっていない。」だとか。
最初に「権力批判」ありきで、
現に困難に直面している福島の方々の事などどうでもよかったんじゃないか?
※かつて、日本社会党自民党の政策に反対する事だけしかしないので、
「反対政党」と呼ばれていたことと事情が似ています。
 
一つの専門分野に精通しようとすれば、かなりの年月を必要とします。
「素人」の「素人」たる所以は、
自分が素人だとわかっていないことにあると私は思っています。
幾ら言論の自由があるとはいえ、
生半可な知識を連日のように垂れ流す(失礼!)べきではなかったんじゃないか?
そういったそういう人たちの優しい「善意」 
ますます事態を混迷させたのでは?

という訳で、この原発事故を契機に、多くのブロ友さんと喧嘩をしてしまいました。
それでも、今でも私は自分が間違っていたとは思いません。
勿論、長く原子力発電の研究に携わっている専門家で、
早くからその危険性を指摘している方々の意見などを
掲載する事は有意義だと思います。
でも、あの時点では、ほかにもっとすべきことがあったのでは?
匿名のブログで不安を煽りたてるだけでは
無責任ではなかったのかと私は考えます。
言論の自由」には、
それを守っていく為の
責任と節度と言うものがあります。