「愛国心は、ならず者の最後の隠れ家」

愛国心は、ならず者の最後の隠れ家」


 
 
スポーツにほとんど縁のない私ですが、
オリンピックについて、一つ言いたいこと。
 
今年は、まずマシな方みたいですが、
その国力、経済力から見て、
相変わらず、パッとしない日本人の成績。
かつて、それを日本人の「個」としての弱さであると、
このブログで偉そうにも叱咤した私ですが、
最近は、別にメダルなんて取れなくていいんじゃないの
と思うようになりました。
現在、国別のメダル獲得数の上位をしめる韓国中国では、
国ぐるみで、メダルの数を増やすことに、血眼をあげていることは、
よく知られています。
国威発揚のためですよね。

かつては、悪名高いアドルフ・ヒトラーが、
戦前のベルリンオリンピック(1936年)を
ナチスドイツ 
の宣伝に
大いに利用したことが有名です。
ソ連をはじめとする共産主義諸国が、
マルクス主義」の優秀さを証明するため(?)、
事実上、プロに近い待遇で選手を育てて、
金メダルを独占したことは記憶に新しい。
そのために、選手に無理な練習を強いて、
多くの悲劇を生んだとも聞きます。
 
日本において、近年メダルを取るのが男性より女性の方が多い傾向にあるのは、
べつに「女性の時代」が到来しているからではなくて、
家族を養わねばならない男性にとって、
金メダルを取っても、生活に格段有利なわけではないので、
身体能力に恵まれた人たちが、
プロリーグのある野球やサッカーを目指しているからに過ぎないからでしょう。
金メダルを取った人に、高額の年金を支給する制度でも作れば、
きっと、日本人のメダリストも増えるに違いありません。
でも、そんなことまでして、メダルの数を増やすことに意味があるのか
 
かつて、敗戦のショックで打ちのめされて自信を失った日本人にとって、
オリンピックのメダルは、至上の価値がありました。

周りの期待に押し潰されたマラソン選手が自殺したこともありましたよね。
東京オリンピック(1964年)の女子バレー選手は、
必勝を祈願して、
お守りを胃に飲み込んで試合に臨んだそうです。
 
でも、もう「大人の国」になった私たちは、
そんな偏狭なナショナリズムから
解放されているようです。
これって、大変健康的なことではないのでしょうか?
こんなことで、数を他の国と競うのは馬鹿馬鹿しいと私は思います。
日々練習を重ねて試合に臨んでいる選手の方々は、
大変素晴らしいと思いますけど。
 
たまにはまともなことを書くブログでした。