マー君と神風特攻隊
マー君と神風特攻隊
観ていない映画の感想文は書けませんが、
最近「風立ちぬ」だとか「永遠のゼロ」だとか、
ゼロ戦をテーマにした映画が注目を集めているようですね。
観ていないのに何とも言えませんが、
この二つの映画ともに、かの有名な神風特攻隊が話の中に出てくるらしい。
映画を観ていない(実は観る気がない^^)のに何とも言えませんが、
ちょっときな臭い時代になってきたな~と思ってしまいます。
(これに関しては、異論があるでしょうが。)
外国人が、日本人の精神構造の特異性を指摘するときに、
決まって例に挙げるのがこの神風特攻隊です。
外国人には理解できない戦法。
気持ちが悪くなって嘔吐をしている米兵の姿を、
記録映画で観たことがあります。
第二次世界大戦後、戦争の惨禍を体験した日本人が、
戦争の愚かしさに気づき、
反省の意味を込めて何度も振り返ったのも、この神風特攻隊でした。
でも、これは何度も書いていることですが、
こういう神風特攻隊を生み出した日本人のメンタリティは、
今もなくなっていないと私は思っています。
例えば、「過労死」。
karosiと言う言葉がそのまま英語になってしまうほど、
日本のサラリーマンの特異性を表すのに、引き合いに出されます。
外国人にとって、単に会社は家族を養うための生活の糧を得るための機関です。
どうして死ぬまで働き続けるのか?
つまり、私たち日本人には、
「集団の利益のためには、個人は犠牲になるべきだ。」
と言う考え方が非常に強い。
そこが、外国人には理解できないのでしょう。
プロ野球においても然り。
今年のポストシーズンの最大の話題は、
何と言ってもマー君の去就でしょうが、
アメリカの評論家の中には、
マー君の日本での球の投げ過ぎを心配している人が多いと聞きます。
でも、もしマー君が、自分の肩を守りたいが為に、
あの日本シリーズでの連投を拒否していたら、
「あいつは自分の事しか考えない個人主義者だ。」
と多くの人は非難したに違いありません。
ね?やっぱり、
神風特攻隊の精神はなくなっていないんですよ。
個人の才能より、集団の利益。
才能のある人間は、集団のために犠牲になるべきだ。
以前、私がこのブログで、
日本人ほど、俺だって!俺だって!と思う民族はないと書きましたところ、
むしろ、自己主張の強いのは外国人の方だと反論する方が多かったですが、
私は、日本人は人間には才能に差があることを認めたがらない、
才能のある人をみんなで育てて大事にするという気持ちがない
と言いたかったわけです。
「みんなが一緒」であると言うのが理想なんでしょう。
マー君の肩が、ボロボロになっていないことを祈るばかりです。