映画「東京画」を鑑賞する!

映画「東京画」を鑑賞する!

1985年 西ドイツ アメリ
 

 
 
日本文学研究家のドナルド・キーンさんが、
日本文学の研究を始めたときに、必ずと言っていいほど、
「外国人に日本文学が判るのか?」と日本人に尋ねられたそうです。
彼は「それなら、あなた方にシェークスピアが判るのか?」と
反論したそうですが、
小津安二郎の映画に関しては、私も正直のところ、
「外国人にわかるのか?」と言う疑問が払拭できません。
余りに日本的な映画で、
解説書を読まないと外国人には理解できないのではないか?
 
しかし、現在、ヨーロッパを中心に小津映画の名声は光り輝いており、
世界中に、彼を尊敬する人たちがおります。
タクシードライバー(1976年)の脚本を書いた著名な映画作家の、
敬愛に満ちた小津映画に関する論文を読んだことがあります。
小津安二郎と禅芸術との関連性を説く件を読んでいると、
「ほんまかいな
と、疑念がよぎるんですが、
まあ、これだけ世界中の人に尊敬される日本人がいることは、
誇りに思うべきなのかもしれません。

 

 
このヴィム・ヴェンダースが作った「東京画」と言う映画も、
全くの小津安二郎へのラブレター
です。
1983年の、まだ繁栄を極めていた時代の東京を舞台に、
延々と小津映画への愛を語る。
同じ女に恋をしてしまった人が見れば、
その切ない気持ちはよく判るかも知れませんが、
そんな女は好きでない男が観れば、退屈この上ない映画でしょう。
そういう意味で、普遍性に欠けている。
私も、小津映画ゆかりの、笠智衆さんや、
撮影監督の厚田雄春さんへのインタビューはとても興味深く鑑賞いたしましたが、
外国人には珍しいかもしれない当時の東京の風俗を延々と紹介するのを見るのは、はっきり言って苦痛でした。

 

 
 
それでも、やはり日本映画の黄金時代を支えた笠智衆さんや厚田雄春さんの、
何とも言えない気品あふれた人柄は、私の心を捉えるものでした。
中でも、厚田雄春さんへのインタビューでの最後の涙が美しい。
自分のための涙は見苦しくて私は嫌いですが、
亡くなった尊敬する師を思う涙は限りなく心に響きます。
 

 
映画は、厚田さんの涙と、
東京物語の有名な原節子の涙のシーンをオーバーラップさせて終わります。
もう一度、東京物語を見直したくなりました。

 

 
 
マニアのための映画でしょうねかね^^