自己犠牲を伴わない平和論は、他者を説得できるか?

自己犠牲を伴わない平和論は、他者を説得できるか?




ブログを休むと言いながら、更新している訳ですが、
毎年、この季節になると繰り返される紋切り型の平和論にウンザリしているので、
敢えて、書かせていただきます。

自己犠牲を伴わない平和主義は、他者を説得できるか

やれ「平和の誓い、新たに。」だとか何とか、
被害者意識ばかりの平和論は、いい加減にしてほしいのです。
誰がどう見ても、日本
第二次世界大戦加害者です。
中国大陸に侵略して、アメリカに戦争を仕掛けた。
広島だって、軍需産業で栄えた町だったから、原爆落とされたんでしょ?
どうして、被害者意識ばかり先行するのか理解できません。

誰だって、戦争で死にたくなんてありません。
でも、戦争で死にたくないから、戦争を起こすこともあり得ますよね。
現代のアメリ
の行動論理は、まさにそれでしょう。
「攻撃は最大の防御なり。」ってね。
戦争で死にたくないという感情は、
敢えて暴論を吐けば、小市民のエゴイズムに過ぎない。
そういう小市民のエゴイズムが、
実は日本をファシズムに導いたのではないのか?








































ガンジーさんにしろ、キング牧師にしろ、
世界の人々に多大に影響を与えた偉大な思想には、
(結果的にせよ、)自己犠牲が伴っていた。
単なるわが身が可愛いいだけの思想ではなかった。
だからこそ、世界中の人が感動したわけでしょ?

被害者意識ばかりの平和主義は、
他者を説得させられるのでしょうか?