聖徳太子の弟

大阪府寝屋川市を、ガラの悪い犯罪の街だとばかり考えてはいけません。

こればっかり
スーパーで買い物をしようと、近所をウロウロしていると、
この様な石碑を発見しました。





野神さん(池田)
池田はかつて池田中・川・下の三つの村に分かれており、それぞれの村は五穀豊穣の神として、「野神さん」を祀っていました。
言い伝えによると,
 昔、このあたりを領有していた茨田王(聖徳太子の弟)が牛に乗って堤の巡視をしました。この時の牛を池田の人は大切に飼育していましたが、やがて死んでしまいました。人々は、その牛の遺骨を池田の三か村に分骨しました。これが三か村の野神さんの起源ということです。
 現在この地に鎮座します野神さんは、元はもう少し北の昔の池田と大利との境界線あたりに別の形(石碑?)であったものが、昭和8年(1933年)5月5日にここに移されました。
 南面に「御年(おとし)神社」と刻まれており、5月5日には、牛にご馳走をし、酒を与え、キリシマツツジの花で飾り、野神さんへ参拝しました。






聖徳太子に弟さんがいたんですね~
日本古代史に滅法弱い私ですので、確かなことは言えませんが、
(間違っていたら、教えてくだされ。)
その茨田王(まんだのおおきみ)なる人が、
大昔のこの界隈の領主様だったようです。
さすがは、寝屋川市
やはり、住んでいる人たちに気品がある。(笑)
東夷(あずまえびす)の皆さんは、聖徳太子なんて無縁でしょ?



御年(おとし)神社

ネットで調べてみたら、茨田王茨田親王と言う呼称があって、
この二つは同一人物を指すという説と、そうでない説があるみたいなんですが、
ともかく茨田王は、古代に活躍した人物のようです。

聖徳太子も茨田王も 父は用明天皇 母は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ) で純粋な兄弟でした。 兄の死後も聖徳太子の子供ともされる 山背大兄王(やましろおおえのおお)を助けて、最後は共に蘇我入鹿に殺された歴史上の人物だったのです。 (人のブログより拝借)

この近所で茨田王の遺骨が発見されたお寺もあるみたいで、
今度、見に行ってこようかと思います。

それにしても思うのは、この石碑に書かれていることが事実だとしたら、
日本の庶民は、大昔から権力者に従順だったんだなあという事。
菅原道真みたいに、すぐに神様にしてしまうでしょ?
万世一系かなんか知らないけれど、革命が起きない国です。
現代でも、いつまでも自民党が政権を持ち続けているのは、
その名残でしょうかね?
もっとも、日本の権力者って、そんな残酷な悪いことしませんからね。
独裁者が滅多に出ない。
北朝鮮や、昔のルーマニアなんかと比較してみたらよく判る事です。


引越しして、歴史に目覚める猫さん
でありました。