「優しさ」の裏にあるもの

「優しさ」の裏にあるもの




さういふ劣等感の働きが反対の方向に向ふと、弱者や小国への同情となって表れるが、それが口先だけのお為ごかしであり、優越感の裏返しに過ぎぬ場合が屡々ある。朝鮮人の中の心ある人なら、さういふ一部の日本人の心理を感じ取つていると思ふ。
福田恆存著 「日本を思ふ」より 赤字は猫さん)

人を救う善行の中に、自身の劣等感コンプレックスを見つけるのは辛いことである。まず、救われるべきなのは、他人なのか?それとも自分自身なのか? 河合隼雄

日本人の弱者に対する態度は、それがどんな美辞麗句に飾れらようと、「哀れみ」であり、背後に優越感の満足が感じれらる。 中根千枝


もう、30年以上も前の話ですが、私の母親は、伯父の援助で、生活保護以下の生活費で、一人でボロボロの文化住宅に住んでおりました。実の母親(すなわち私の祖母)と喧嘩ばかりするので、実家を追い出されたのです。
当時、私はまだ20歳代で、京都のファミリーレストランに勤めておりました。親戚だとか、知り合いとかは皆、私に「母親のことは忘れなさい。母親から逃げなさい。」と忠告します。母親のことを気にする私をマザコンだと笑う。でもねえ、こういう状態で、一人息子の私が、母親を無視できるでしょうか?
といっても、当時の私は、自分自身が生きていくのが必死で、母親に援助する余裕もありません。ただ、会社の営業の一環で、フラワーギフトの企画があって、母の日なんかに、花を送ったりしました。花が大好きな私の母は、大層喜んで、となりのたこ焼き屋のおばちゃんに自慢して見せる。たこ焼き屋のおばちゃんも「きれいな花やねえ。」と優しく誉めてくれたそうな。「遠くの親戚より近くの他人」と申しますが、こういう境遇の母親に一番優しかったのは、文化住宅の近所の貧しい人たちでした。

それから、10年近く経って、私の父親が死にました。父親は生活能力のないあほボン
でしたが、死んでびっくり、結構なお金を残したんです。貧乏のどん底だった私の母親は、突然お金持ちに。有頂天になった母は、奇麗な服を着飾って、1鉢1万円もするシクラメンなどを、買い漁りました。
そうすると、今まで優しかった近所のおばちゃんたちの態度が一変したんですよね。いじめが始まったんです。 物干し場に並べた花の数が多すぎると怒る始末。(あんたにゃ、関係ないだろ!)あの私の母に対する優しさは何処に行ったんでしょうか?

これに似たことは、私の人生の中で、よく経験します。「これって偽善だよな~」と思う事がしばしばある。「愛」「哀れみ」とは微妙に違いますからね。



日本人の国民的映画である男はつらいよにしてからが、寅さんが毎度美女にフラれるからこそ、皆が面白がって観る訳で、寅次郎が毎度マドンナとベッドインする話に変えたら、誰も見なくなるでしょう。そこに、観客の優越感の満足があるんですよね。


古い世代の人々なら知っているでしょうけれど、ベトナム戦争時に日本で一世を風靡したべ平連ベトナムに平和を!市民連合と言う正義の味方!



これだって、第二次世界大戦でコテンパンにアメリカにやられた日本人の劣等感に端を発していたんじゃないかと思う。本当に、ベトナム人の幸福を考えていたのか?



ベトナム戦争終結後、多くの難民が、命からがら日本に助けを求めてきたとき、ベ平連の人たちはそれを無視した。無責任極まる正義の味方ですよね^^(アメリカでは、ベトナム戦争に反対した知識人たちは、「難民流出の責任は自分たちにもある」と、ポートピープルを養子に向かえたりする運動があったそうな。)


本当のなんて、存在しないものなのかもしれませんが、優越感の裏返しの「同情」は、御免蒙りたいものです。